開きっぱなしの扉の前からこちらに声が投げかけられた。
「……撫子様」
戸澤くんから扉の方へと顔を向ければ、ほんの少し驚いたような様子で撫子様が立っていた。
「撫子くん!ちょうどよかったよ!婚約が決まったとのこと、おめでたいなはないか」
蒼ノ月様の言葉なんてまるで届いていない撫子様は、音楽室へと足を踏み入れた。
ただ真っ直ぐに、誰かを見ている。
蒼ノ月様でも火神さんでも私でもない。
「響くん……」
その優しい声は、撫子様のものだ。
私は驚いて、咄嗟に撫子様の視線の先にいる戸澤くんを見た。
「……久しぶり。“なこちゃん”」
鍵盤からそっと顔を上げた戸澤くんの瞳が優しい色に染まる。
“なこちゃん”と呼んだ声は、私が知る戸澤くんの中で最も優しいものだった。



