わたし達とっても仲良しなんで間に入るのやめてもらえませんか?

『姉』

バサッ。
縁《えん》が、覆いかぶさってきた。突如の振動を腹部に刻み込まれた私は思わず「ぬぇっ?」と不甲斐ない声を漏らしてしまう。急に飛び込むのは(主に私が)危険だぞと夏本番に向けてやる気十分なプールサイドの監視員を真似する余裕もなく、ただどうしたと困惑と混乱に飲まれるしかなかった。いつものようにベッドに入ってくると思って予め余裕綽綽の心持ちで布団に収まっていたというのに、その思い込みな予想はいとも簡単に現実から軌道が逸れた。

飛び乗ってきた縁を必然的に下から覗いてみると、縁は火照った美顔と、我が家の階段をダッシュで三往復した後ぐらいの呼吸の乱れを身に宿していた。まさか不意に体育会系かつ癒し系の妹を志す執念が湧き上がったのか、という空想はその名の通り空っぽなので記憶からも思考回路からも別れを告げることにした。

そういえば体育会系繋がりで、よく妹系の女の子、とか言うけどそれのどこが魅力的なのかが分からない。単に甘え上手なだけなのではないか。血縁があって初めて妹、だろうに。その上、妹だからって必ずしも甘えん坊の方が好ましいとは限らないだろう。更に言えば世の中色んな姉妹がいて、それぞれの空気感がある。お互いの個性が醸し出す無言の時間も会話している時間も、全て総合して姉妹という関係が完成するのだ。姉妹の数だけ、その関係性がある。当たり前と言えば当たり前だ。

本当はそんな他人の姉妹事情はどうでもいい。しかし、意図したか否かは定かではなくとも、今の私達の状況に関連してしまうのだ。
というのも、恥ずかしながら私達はここまで激しいスキンシップをした経験がないのだ(いや、恥ずかしくなんてことはあるはずがない。一体誰に羞恥を覚える必要があるのだ。私達はお互いを誇りに思っているんだぞ。冗談は止めなさい、私)。手軽で手短なノリツッコミを交えて説明したが、つまりはそういうことだ。

お弁当の食べさせ合いはする。お風呂も一緒に入る。だがしかし、それ以上の身体の接触は滅多にない。もちろん、それ以下の触れ合いでも縁と一緒ならこの上ない日常となる。
しかし例えばこの世界がバトル漫画の世界だとしたら。バトル漫画では、最強を超える最最強が登場するのは鉄板だろう。この世はバトル漫画ではない、だって?確かに通常はそうだ。けれど、ベッドの上でもその常識は通じるだろうか。ベッドの上で、大好きな人が上に乗っかっていても、安易に一般化して考えられるだろうか。そう、この状況は言わば、一種の闘いだ。

縁と私のお風呂上がりの甘くて温かい香りが漂う、姉妹の非日常の交わりだ。進化の機会が与えられるならば、進むしかない。縁から誘ってきたならば、私もこの大波に乗るしかない。今までの関係を凌駕する時が来たのだ。
縁と最高潮の幸せを共有するんだ。
さぁ。

「お姉ちゃん、大好き。」

初球から、ど真ん中真っ直ぐのストレートが来た。


『妹』

ややっ。どうしよう。
お姉ちゃんへの気持ちが盛り上がりすぎて、つい飛びついちゃった。普段のわたしなら自制が効くのに、今日は抑えなれなかった。やっぱり教室でのお姉ちゃん、かな。わたしはお姉ちゃんを大切にしたい。お姉ちゃんを弱気にさせてはいけない。お姉ちゃんを誰よりも近くで見守って、お姉ちゃんを傷つけるやつがいたらわたしが代わりに退治する。保護欲、と一《ひと》まとまりにはできないお姉ちゃんに関わる全ての希望がわたしを喚起している。

お姉ちゃんに寄り添いたい衝動がわたしの行動原理を発展させて、結果、お姉ちゃんに抱きついた……んだろうな。まぁ例の玄関先での出来事へのお返しの意味も、無くは無いけど。それは置いとくとして、やっぱりわたしもまだまだ生き物としての人間の欲望には抗えない、ということか。お姉ちゃんが好きという感情を、理性中心で維持しているつもりだった。でもたまには感情を前面に出すのも仕方ないかもしれない。「お姉ちゃん、大好き。」これは紛れもない感情だもの。それに常に理性が弱者で無能な他の人間とわたしとは、根本的に感情の質が違うし。

って、頭の中で呟くつもりが声に出してしまった。ま、いいか。口癖みたいなものだし。あれっ、でもお姉ちゃん、照れてる?なんでだろう。割と頻繁に口に出していると思うんだけど。あぁそうか、この体勢だからか。確かにわたしがお姉ちゃんの上に乗っかったりするなんてことは、あんまり無いかもしれない。今まで一緒に暮らしてきて、一回でもあったかな。寝惚けて絡みつくことはあっても、今の体勢は脳内に記録していないな。毎日二人で寝ていてるけど、新しい発見がいっぱいだね。

だから今からもっと新しいことするんだ。ちょっと体が熱くなってきたけど、わくわくが、ドキドキがわたしの内側を満たしている。熱意が熱になるなら、熱を熱意に変えていこう。

「縁、私も、好きだよ……」

お姉ちゃんと目が合って、お姉ちゃんがそう言った。お姉ちゃんも、言ってくれたんだ……嬉しい。嬉しい。攻める前に受け止めることになったわたしに、甘美な心模様が降り注ぐ。嬉しい、以外に余計な表現が加わるのを嫌うほど、嬉しい。何度言われても、何度言っても色褪せることがない気色《けしき》だ。わたしの不図《ふと》とは違って、わたしに面と向かって伝えてくれたことが、こんなにも嬉しい。顔にも出ていると思う。ニヤニヤが止まらないもん。パジャマにプリントされたやつみたいな笑顔になっているかもしれない。それでも何でも、嬉しさが鳴り止むことがない。

ここで以前だったらお姉ちゃんの一言一句のみで満足して、後は妄想で余韻に浸っていたと思う。
でも今は。
でも今夜は、続きが欲しい。
わたしとお姉ちゃんの心の結び付きに合わせて。
身体の結束も、図りたい。
新しい一歩を、踏み出そうよ。
ねっ、お姉ちゃん。

そう決めたので。

「お姉ちゃん、キス、していい?」

いつか夢見てた台詞を現実にする。

お姉ちゃんは、二、三秒頭が真っ白になったみたいで、わたしが見ても分かるくらい惚けていた。
けど、その後ぎゅっと目をつぶったから、覚悟を決めたみたい。

お姉ちゃんを見て、わたしも改めて決心を強くする。
それと同時に、緊張と興奮が、心臓から脈を打ってきた。今まで簡単に「お姉ちゃん好き」と呟けていたことが不思議なくらい、平静から程遠くなっている。急に、勢い良く、身体が悶えてきた。

どうしよう、緊張、緊張。心臓、バクバク。どうしよう。落ち着いて、落ち着いて、わたし。大丈夫、キスくらい、いや、くらい、ではないけど、キスは、キスだ。大事なキス、ファーストキス、お姉ちゃんとキス、柔らかい唇。大事に、大切に、優しく、記念すべき、思い出に、お姉ちゃんに。お姉ちゃん、大好きな、大好きに、大好きで、大好きだ。大好きだから。わたしの、愛を、唇から、届け、たい。あっ、暑い、熱い、あつい、汗、焦って、汗が、噴く。汗、汗、あ、

……あ、お姉ちゃんも、汗、かいてる。

目を頑張って閉じて、

少し震えていて、

可愛い。

そうか、わたしもお姉ちゃんも、一緒なんだ。

一緒だし、一緒だから、何も焦ることなんて無いんだ。

そう思うと身体の力がすっと抜けた。

まだ強ばっているお姉ちゃんの耳元で。


「ずっと好きだよ」


静かに囁いて。

瞼を黒く染めたわたしは。


お姉ちゃんのピンクの厚みに。


わたしの同じところを重ねた。




ただただ、幸せだった。




顔を離して、お互いに目線を交わす。
初めての行為に、興奮しているのか、茫然としているのか、まだ感情の輪郭が掴めない。
お姉ちゃんも、目がとろんと垂れて、色っぽい表情を浮かべているばかり。
わたしもお姉ちゃんも、仲良くぼーっとしてしまう。
このまま思考の迷路に迷わされ続けるのもアリかもしれない。
でも、かつてない体験の中で、わたし達は何かを感じ取った。
あやふやな意識に飲まれても、心に残るものがある。
それがわたしやお姉ちゃんにどんな影響を与えるのかは分からない。
分からないけど。
わたしが生まれてからずっと変わらなかったわたし達姉妹に、確かな変化が生まれようとしていた。




『姉』

約十分間、縁と目を合わせ続けて、ようやく目が覚める。
縁との口付けも、その後の余韻も、夢見心地な気分で夢現な情感だった。とにかく夢みたいな時の流れだった。一瞬のようで、永遠のような、そんな陳腐な言い回しに頼らざるを得ない時間だった。

それで、この後は、どうするんだろう。
私、何も考えてないし、何もわからないんだけど、縁は何をしてくれるのだろう。縁に主導権を任せっぱなしだけど、私より何かと器用だから、何かとお願いしてしまう。何かって何だ。

その何か、の答えなのだろうか。

縁が私の身体に触れると、私のパジャマをめくろうと手を動かしてきた。
私は驚きのあまり身体が固まって、抵抗することなく縁のなすがままになる。
パジャマの上の方が、半分ほど脱がされた。

あぁいよいよ、私達も姉妹の高みへと昇るんだなぁ……。

そう朧気に思った時。


軽快な旋律を乗せた音楽が伝播《でんぱ》した。

私も縁もその音に釣られ、音源を目で探った。

間を置いてようやく、私の携帯の着信音だと思い出す。

パジャマも着崩したまま携帯を見つけ出し、発信者は誰かと画面を確認してみると。


「遠藤《えんどう》 慰陽《いよ》」の名前が映っていた。