《完結》アーサ王子の君影草 中巻 ~幻夢の中に消えた白き花~

 薄暗く不穏な空気を含んだ雰囲気にスズランはごくりと息を呑み込んだ。勢い任せに酒場(バル)を飛び出して来てしまったが、ペンディ地区はもちろん旧市街など足を踏み入れたことすらない。
 夜でなくとも良い噂を聞かないこの地域に足がすくむ。もしまた先日の様な柄の悪い輩に手酷く絡まれたりしたら……。思い出しただけでも恐怖に肌が粟立つ。しかし。行かなければ後悔するのは言うまでもなく、今を逃せばもう二度と好機はやって来ない。

「大丈夫…。平気…!」

 スズランは何度か深呼吸をすると、意を決して力強く地面を蹴った。
 空からは耐えかねた様に雨粒が落ちてくる。雨は寸秒のうちに本降りへと変わった。一瞬、傘を取りに戻ろうかと考えが浮かんだが時間が惜しい。頭を左右に震わせ、足を進めた。
 坂と階段の街という事だけあり延々と下り坂が続く。更に不揃いの石段が雨に濡れ、非常に足場が悪い。濡れた石畳は滑りやすく何度も足を取られた。少しでも気を抜けば転んで怪我を負ってしまいそうだ。十分に気をつけながらもスズランはペンディ地区を下る。

「っ…あ!」

 しかし大幅な石階段に爪先を引っ掛けてしまい、転ぶ…! と思った次の瞬間。激しい衝撃を全身に受け、雨で濡れた冷たい地面に倒れ込んだ。その間も容赦のない雨が身体を打ち付ける。