善兄に逃げる気配は、ない。
おそらく、覚悟があるのだろう。
終わりを受け入れる覚悟が。
「善兄」
世界で1番嫌いな名前を、砦が崩される前に餞別のような形で、呼んであげた。
善兄の瞼が、閉ざされる。
「これで、終わりにしよう」
代わりに薄く開かれた唇の隙間に、そうっと睡眠薬を押し込んだ。
ごくり、と飲み込んだのは、善兄の意志だった。
善兄が眠りに落ちたのは、それからすぐのことだった。
何もかも、偶然だった。
私の手が傷だらけになったのも、善兄が戸惑ったのも、善兄に私の憎しみが伝わったのも。
偶然が、幸運を連れてきてくれたおかげで、長く侵されていた恐怖は終わった。
ようやく、終わったんだ。



