アパートのドアの前で平然とデリカシーのない声が響いた。

 心臓がドクンと波打ち、足が廊下に張り付きそうになるのを無理矢理に引きはがす。

 ガチャッ。急いでドアを開けヒソヒソ声で反論した。

「ちょっと!大きな声でそんなこと、ここで言わないでよ!」

 休みの日の朝にそんなことしたら誰に聞かれるか分かったもんじゃない!

 にらみつけた先にいたのは大きくてひょろっとした男だった。モデルみたいと言われる杏の身長を優に超えていた。

 珍しく見上げた顔は、身長が高いだけの頼りなさそうな男だった。杏を見下ろした顔に少しくせ毛の柔らかそうな髪がかかる。

 人畜無害そうなやつ。

 見た目の第一印象からはかけ離れたさっきの言葉に、本当にこの男から発せられた言葉? といぶかる。

「確認しないといけない決まりでして。圭佑さんに…。」

 もごもごもご…。
 またひどいことをぬかしそうな男の口をふさいで部屋の中に無理矢理引っぱりこむ。

「ちょっと!どういう嫌がらせ?もしかして圭佑の差し金?」

 さっきやり込められたことにそんなに腹を立てたのかと勘ぐる。まさかそこまで…。

「いえいえ。圭佑さんはあのあと結菜さんとラブラブデートに向かわれました。」

「は?」

 さっきからそうだけど、空気とか読まないわけ?

 眉間にしわを寄せ今にも血管ブチ切れそうな杏をよそに、傷に思いっきり塩を塗り込むように男は続ける。

「久しぶりに会えるとウキウキして約束の三時間前から入念に肌のお手入れにオシャレに化粧もばっちりして行ったのに残念でしたね。」

 余計なお世話の内容を、読み上げたような言い回し。ちっとも残念そうに聞こえないセリフにますます怒りがこみ上げた。

「なんなの?あんた。」

 今にも回し蹴りを食らわせたい気持ちをなんとか抑えて杏は男をにらむ。

「あ、申し遅れました。わたくしは会わせ屋です。」

 は?会わせ屋?別れさせ屋じゃなく?意味が分からない顔をしたことを感じ取ったのか男は付け加える。

「運命の人にです。」

 ドン。男の背中を乱暴に押して玄関へ追いやる。

 ヤバイ。変な結婚相談所とかの勧誘だ。

 そういえばスーツ姿で手には資料の入った手提げ袋を持っている。きっと弱みにつけこんで契約させるつもりだ。どこで情報を得るのだろう怖い世の中だ。

「結構です。間に合ってますので。」

 ぶっきらぼうに言ったその言葉とともに男を外に追い出そうとする。

 男はドアから押し出されまいとジタバタと抵抗する。

「待ってください。何か勘違いされています。運命の人に出会うのを三十歳と決められたのは杏様ですよ。」

 三十歳…。昨日、誰にも祝ってもらえずに一人寂しく、なりたくもない三十歳になった。その傷までえぐるのか。

 人畜無害と思って部屋に入れた自分の見る目のなさを呪った。

「いい加減なことを言わないで。自分で決めたって…。決めた覚えないし、決められるなら二十三歳とかにするわよ。」

 なんでわざわざ三十路なんかに…。嘘をつくならもっとばれない嘘をついて欲しい。これだから男はダメなんだ。

 はぁと深いため息をつくともう一度男を押す。
「出て行って。」

 相容れない様子を感じたのか、今度は反論することもなく男は出て行った。

 何時間そうしていただろうか。杏は玄関で崩れるように座り込んで放心状態で玄関をみつめた。

 今日はなんだと言うのだ厄日か?

 何もする気も起きず玄関でうなだれるように横になった。

 何も考えたくない。こんな時は寝るに限るわ。

 激昂した頬にフローリングが冷たくて心地いい。

 眠くなくても目を閉じて何も考えないように眠りについた。