また間違えた。鍵盤からゆっくりと手を離して大きくため息をついた。何回弾いても同じところを間違えてしまう。初めての合唱コンクールの伴奏者ということもあるのだろう。いつも焦って同じところでズレてしまう。

「はぁ...」

疲れとともにまた大きなため息がこぼれる。でも、落ち込んでいる暇はない。残された期限はあと1週間だ。重い手を持ち上げて鍵盤に落とす。

この滅多に人の来ない視聴覚室の滅多に使われないピアノは調律もなにもされていないので弾きにくい。最初のAメロはいい、ここはちょっと気をつけてこの後から...

「どこかへー....いったんだー」

いつもズレてしまうあたりで、ふいに伴奏にのった楽しそうな声が聞こえてきた。主旋ではない、低めのバスパートだ。

「昨日とーおとといとーその前の失敗がつくるのは明日の楽しみー」

廊下の奥から段々近づくその声は視聴覚室のドアの前あたりで移動をやめ、そして

「本当にー掴みたいもの目指してー」

ガラッ

曲が終わると同時に入ってきた。

「よう!どう練習は、順調?」

気さくに声をかけてくれたその男子はクラスメイトの1人。よくみせる笑顔が印象的ででフレンドリーで、男女問わず人気のあるクラスのムードメーカーだ。よくみせるいつもクラスの中心にいて、どちらかというと派手ではない私とは別世界の人みたいな感覚だった。

「うーん、あんまりかな。今もズレちゃったし」

君はピアノの横の大きな窓の枠にもたれるように座った。

「そっかー。でもめっちゃキレイだし、すごいよな」

うんうん、と腕を組んで君が頷く。

「ううん、私何日たっても全然上達しないし、みんなに迷惑かけちゃってるから全然そんなことないよ」

そう言ったら君は少し意外そうにこちらを向いた。

「そんなことないと思うけど」

「だって、いっつも私の伴奏のせいで歌が止まっちゃうから練習もなかなか進まないでしょ?」

そう言うと意外そうな顔をされた。

「あーそういう見方もあんのか」

「そういう見方?」

そして私の質問に秘密をこっそり打ち明けるようにして言った。

「あそこさ、実は合唱の方もちょっと間違ってるんだよ。確信もどこかへいったんだってとこ。本当は確信もどこかへいったんだーなのにみんな確信もどこかへいったんだぁーってなってんの!」

「えーっと....なにが違うの??」

「だから、確信もどこかへいったんだーが確信もどこかへいったんだぁーになってんの」

「うーん、全然わかんない」

「だからぁー!」

怒った振りをされたあと、2人で目を合わせてプッと吹き出した。なんだかおかしくて笑いが止まらなかった。

「ははっなんでわかんないんだよ」

「いやーわかんないよ」

「まあとにかくさ、そんなんだからズレるの当たり前なんだろ?みんなも頑張りすぎて疲れてるから、自分たちも間違えてるのわかっててもつい誰かに八つ当たりしちゃうんだよ。みんなが楽しむことが1番なんだから、楽しめなきゃいつまでたっても成功したって言わねーからな!」

そう言って君はお手本を見せるように笑った。楽しめなきゃ、なんて漫画やドラマじゃなきゃ聴けないようなくさいせりふだと思った。でも、ストンと自分の中に落ちて焦っていた気持ちがふっと和らいだような気がした。

「な、もう一回弾いてよ。俺も練習したいし、お前のピアノ聴きたい」

キラキラした目でまたニッコリ笑われると自然とピアノに手がのびた。

さっきより軽くなった手は弾きにくかったおんぼろピアノも弾きやすく感じさせた。

そこに心地よい歌がのる。

「決意も確信もーどこかへいったんだー」

私も夢中になって鍵盤を指で駆けるように弾いた。

「恐れないでー怖がらないでー私がいつでもあなたの隣、手を握ってーいるから」

君の歌は明るくどこか弾むようで、楽しんでいるのがよく分かった。きっと私のピアノのより、ずっとずっとすごい。

「ぎゅっと強く、あーなたがー孤独感じないようにー」

あまりにも楽しそうな声についチラッと横目で見た君は楽しそうに目をつぶって歌っていた。その姿が夕陽に照らされて床に影を落としていて。

「キレイ...」

思わず呟いてしまうほどに、その姿は綺麗だった。まるで別世界を見ているような、不思議な景色。

私の呟きが聴こえたのか君が顔をあげたので、慌てて目線を鍵盤に戻した。見とれてた、なんて言ったら君はまた楽しそうに笑ったりするんだろうか、なんて。

歌が終わりゆっくりとピアノから手を離した。パチパチパチ、と君が拍手をする。

「やったじゃん!!」

「なにが?」

「気づいてなかったの?いつものとこ、ズレてなかったぞ!!」

「ほんとに!?」

見とれてたせいで手元はあまり集中してなかったのに、知らず知らずのうちに弾けていたようだ。

「今楽しんでたんじゃない?」

君がまた笑った。その顔にさっきとは何か違う、夕陽に染まるような感情をおぼえた気がした。

「うん、楽しかった!」

私も自然と笑った。

君の顔がまた夕陽に照らされて赤く染まった。