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直は挑戦者として棋聖戦五番勝負の第五局に臨む。
第一局は日比野棋聖が取り、第二局は直、そのまま交互に勝って二勝二敗。
直は次に勝てば初のタイトル獲得、負ければ四度目の挑戦失敗という、ものすごく大きな一戦を迎えていた。

順位戦や予選の対局は東京や大阪の将棋会館で行われるが、こういったタイトル戦は大きなイベントとして全国のホテルや旅館などで盛大に行われる。
一局ごとに場所を変えながら、北へ南へ近場へと出向いては対局していて、そのすべてが専門チャンネルで中継されていた。
今回も東北の温泉地にある高級旅館で、対局と大盤解説会が行われる。

タイトル戦前日は前夜祭というイベントが組まれることがあり、関係者や招かれた方々と酒食を共にする。
どんな風に前日を過ごすタイプの棋士であれ、集中したいから、と引きこもることなんてできない。
逆に言うと、普通に過ごしたい直にとってもそれは不可能。

タイトル戦ともなると研究にも力が入るし、移動や取材もある。
それでいて他棋戦の対局も変わらずあるので、会える時間は減っていた。

対局日の前日は、東京在住の現棋聖、立会人(棋士)や解説者(棋士)など、みんな一緒に新幹線で現地入りするので、出発日の前日(対局日の前々日)に、「一緒にご飯食べよう」と誘われた。

すべての対局が重要と言っても、さすがにこの対局が他と違うのは明らか。
普段あれこれ口出ししない私も、ここしばらくは落ち着かず、大好きなハンバーグもなかなか喉を通っていかない。

「真織が焦ってどうするの」

おいしそうにパクパク食べ進める直は、こんな状況にも慣れているのだと思う。

「無意味だってわかってるよ。でもさ、でも初タイトルがかかってるなんてハラハラするじゃない」

「まあね。でもやることは一緒だし。ここまでなら前にも来たことあるから。負けちゃったけど」

あくまで“普通”を崩さない直に、緊張感は見られなかった。

「緊張をやわらげるテクニックとかあるの?」

「そんなのないよ。緊張しながら指すしかない。でも相手だって緊張してると思うし、お互い様じゃない?」

「そうだけど、私がもたないよ。手に『人』って書くといいんだっけ?」