空の底に日の名残はあるものの、吐き出す息の白ささえ見えないほど、外は暗くなっていた。
「話って何?」
勢いよく歩いて駅を出た直は、人の流れから外れる位置で立ち止まって、ようやく私を見た。
武と向き合ったときのような圧力はなく、どこか不安気に私を見下ろす。
「さっきの人は元彼で今は別に関係なくて……」
「うん。聞いてた」
「直のこと待ってたら偶然会っちゃって、それで……あんなことに」
「うん。わかってる。俺を呼び出したのはそのことじゃないでしょ?」
コンビニから漏れる明かりを背負って、直の表情は険しく見える。
たったひと言伝えたいと思っていたはずなのに、直を目の前にするといろいろな感情があふれて、うまく言葉を繋ぎ合わせることができない。
「ごめんなさい」
今の気持ちに一番近い言葉を選んだら、謝罪になった。
「……何に対して謝ってるの?」
「直の気持ちを疑ってごめんなさい。連絡しなくてごめんなさい」
思えば、いつも直は精一杯の愛情を示してくれていたのに、私は勝手に妄想を膨らませて、勝手に劣等感を抱えて、距離を取ろうとした。
でも、私が向き合わなければならなかったのは、棋譜なんかではなく、直の表情や言葉やたくさんの幸せな時間だったのだ。
「直が好きなの。別れたくない」
ふうーっと深いため息が、下げている私の頭の上に降りかかる。
「許さない」
厳しい言葉とは裏腹に、夜を明るく照らすような声だった。
「だから今夜は一晩中謝り倒してもらおうかな」
━━━━━は?
謝罪していたことも忘れて顔を上げると、それはそれは楽しそうな直にバッグを奪われた。
そしてそのまま自宅の方向へスタスタと歩く。
私のバッグを人質にして。
「すっごく楽しみだなあ」
バッグごと持って行かれると、電車にさえ乗れない。
家の鍵だって、中に入ってる一本だけなのだ。
アスファルトを擦る音さえ弾む直のスニーカーを、必死に追いかける。
「明日対局でしょう? 順位戦はすごく大切だから、前日は心穏やかにしなきゃいけないって、おじちゃんが」
「人それぞれだよ。数日引きこもる人もいるし、前日でも仕事する人もいるし」
「直は?」
「俺は常に“普通”を心掛けてる」



