これまでなら「まあ、いっか」と忘れてしまっていたと思う。
でもさすがに今回は、会話が途切れるのを待って、だいぶ重くなった口を開いた。

「……一緒に解説してた人、若くてすごくかわいい人だったね」

直はちょっと恥ずかしそうに笑った。

「観たんだ」

「うん。デレデレしてた」

「それは見間違いです」

「おじちゃんが『有坂先生は女性ファンが多い』って言ってた。若手の有望株だし、周りに美人は多いって」

「そんなこともないけど、言われると嬉しいね」

そう言っても嬉しそうな様子はなく、直は言葉を続けた。

「それで、言わなかったから怒ってるの?」

うまく隠していたはずの負の感情に、相変わらず直は遠慮なく踏み込んで来る。
極端に同情したり、下手に慰めたりしないのは、人生に絶望する人を何人も見てきたからかもしれない。
落ち込む人を相手にするくらい日常茶飯事なのだろう。

「怒ってないけど、なんで言ってくれなかったのかなって」

聞かなかった私もどうかと思うけど、直だっていくらでも言う機会はあったはずだ。
ここまでくれば、ある程度意図を感じる。

「最初は単純にタイミング逃したのと……途中からは言いにくくて」

「どうして?」

「マニアックな分野だって自覚はあるから。女性は特に敬遠しがちでしょ?」

興味なくても好きな人のことなら何でも知りたいのに、と思って、口に出す直前でやめた。
だって、私は直のことを好きじゃなかったのだから。

最初に将棋のプロ棋士ですって言われていたらどうだっただろう?
今となってはもうわからない。

「敬遠はしないけど、もっと別の人と付き合った方がいいかもって思う」

私の声色は自分で思った以上に暗く響いて、さすがに直も表情を堅くした。

「別れたいってこと?」

「そうじゃないんだけど、そうじゃないんだけどね、私は直にふさわしくないと思うの」

「その“ふさわしい”って何が基準?」

珍しく直の声が剣呑なものに変わった。
わずかな変化なのに、その迫力に身がすくむ。
顔を上げられなくて、レンゲを持つ手と半分ほど減った麻婆豆腐ラーメンを見つめ続ける。