「次の日曜日、師匠の家に行こう」

「それ、あと一週間伸ばせない? 洋服買わないと」

直の方は心の底から面倒臭そうにひらひら手を振る。

「いいって、いいって。ちょっと行って、一局指してくればいいだけだから」

直の師匠である奥沼政重七段は、自身の対局以上に将棋の普及に力を入れている人らしい。
駒の動かし方から懇切丁寧に指導されることは間違いないとのことだった。

「きれいな格好して行っても、どうせ師匠は〈HAWAII〉って書いてる襟がヨレヨレのTシャツだよ? 普段着で問題ない」

「そういうわけにはいかないよ。社会人なんだから!」

これからもずっと付き合いのある人なのだ。
第一印象は……もうどうにもならないとしても、精一杯礼儀を払うのは当然だ。

「真織がそうしたいなら構わないけど、師匠は将棋のことしか考えてないよ」

「棋士ってみんなそうなの? 直も頭の中将棋のことしかないよね」

MRI撮ったら脳の皺が格子模様になっていて「王」「飛」「金」なんて詰将棋が書かれてあるに違いない。

「そんなことないよ。真織といるときは下心しかないし」

「それもイヤーーーッ! やっぱり将棋のこと考えてて!」

笑って段ボールを撫でる直は、結局のところ九割将棋でできていると思う。
そして私の心の、少なく見積もって七割は直でできている。
ということは、不本意ながら、私の心の半分以上は将棋でできているってことになる……?

まさか手相に「桂馬」なんて浮き上がったりしてないかと、食い入るように見ていた私の手を、躊躇いなく直が取る。

「そろそろ行こうか。仕事の邪魔しちゃってるから」

少しだけ前を直が歩いて、引っ張られるように私が続く。
お互いの腕の長さ分、私たちには距離がある。
だけど私と直の間にある距離は溝じゃない。
手を繋ぐためのスペースなんだ。
やさしくもしっかり握られた手を見ながら、そんなことに気づいた。

倉庫を出ると気持ちよく晴れた秋晴れの空が広がっていた。
少し冷たさを帯びたその青の中を、飛行機雲が一本、真っ直ぐに走っている。

「直」

「何?」

「いい天気だねー」

「うん。昼寝したい」

「仕事しなよ」

高く険しく曲がりくねった道を直は行く。
私は手を引かれて、こんな風に景色でも眺めながら隣を歩こう。

真っ直ぐ 共に。








end.



*special thanks*

柴本奏様 『マイノリティーな彼との恋愛法』
かみきあすか様 『恋色シンフォニー』
浪岡茗子様 『近すぎて』