きっと奏穂なら受け止めてくれる。そう思ってたんだ。
でもいざ口に出そうとすると怖くて。
奏穂に離れて行ってほしくなくて、なかなか言えなかった。
だから結局そのことを伝えられたのは小5の秋。遅くなりすぎちゃってごめん。
あの日の怪我は私でも隠しきれなかったな。
骨折なんて初めてだったから…実は少しだけ、奏穂に会うのが怖かった。
問い詰められたらどうしよう。怒られたらどうしようって。
でも奏穂は、ただただ優しかった。いつでもどんな時だって奏穂は私に優しくしてくれた。
私が全てを話した日、奏穂は私の為に沢山涙を流してくれたよね。涙を流せなくなった私の分まで。
嬉しかった。私の事をそれだけ思ってくれてるんだって思うとね、笑いがこぼれそうだった。
おかしいよね、面白い要素なんて1つもないのに。
だけどそれでも、本当に嬉しかったんだよ。
奏穂に相談するようになってからは自分でも驚くほど楽になって。
前よりもっと生きることが楽しいって思えるようになった。幸せを感じられるようになった。
もちろん、楽しいばかりじゃなかったけど。充分だった。
その頃にはもっともっと距離が縮まって…更に一緒にいるようになったよね。
5年生になると行動範囲も広がって。バスや電車に乗って色んな所に行った。
喧嘩をしたこともあったね。内容は…忘れちゃったけど。
今となってはあれもいい思い出だよ。
沢山遊んで写真を撮って、相談しあって。奏穂といる時間が私にとって何より大切だった。
それなのに6年生、冬。想像もしていなかった事が起きた。
お母さんの───────死。
ずっとずっと我慢していたのは分かってた。
お母さんの痛みや辛さも知ってた。一緒に頑張ろう、生きようねって話してたのに。
お母さんは私をおいてけぼりにした。
責めるつもりなんてない。
それでも私の心の支えはお母さんだったから…すごくすごく苦しかった。
未だにね、あれは嘘だったんじゃないかって思う時があるんだ。
だけどそんなの、ただの夢物語だってわかってる。お母さんは、もういない。
お父さんの暴力はどんどんエスカレートして。このまま死ぬんじゃないかなって何度も思った。
学校に行けば奏穂がいる。楽しい時間が待ってる。
そう思って頑張ってたんだけど…限界みたい。
誤解しないで。奏穂といる時間が楽しくなくなったわけじゃない。
奏穂の支えが足らなかったわけじゃない。
ただ…痛みや苦しみを楽しさや幸せでカバーすることが出来なくなっただけ。
私が弱かっただけだから…。
それと、奏穂のおかげでこんなにいい思い出が沢山出来たから。ありがとう。
…振り返りはこの辺にしとこうか。
最後に。奏穂?────────────────''



