突然、遠くから足音がやってくる。扉の前で止まると、無造作にノブが回され、開く。

「おや? 誰かと思いきや、まだいらしたのですね」

 編集長のさっぱりとした顔が覗く。手提げ鞄と紙袋を持っているところをみると、これから帰るようだった。

「はい」

 椅子をがちゃがちゃ言わせ、机に手を添えて立ち上がる。

「それでは……」

 彼はごそごそとズボンをまさぐり、ポケットが裏返るほど引っこ抜くと、歩美に向かって投げる。昼間とは違い、誰もいないオフィスに放物線を描く。蛍光灯の白い二重線を何本も跨ぐと、すっぽりと歩美の手に収まる。

「ナイスキャッチ」

 言ったのは、彼の方だった。

「鍵を閉めて帰って下さい。お先に失礼しますね」

 呆気なく背中を向ける彼を、歩美が呼び止める。

「今日の取材の事は、聞かないんですか」

 彼の動きが止まる。

「ちゃんとお聞きますよ。貴方の中で、きちんと整理されてから」

 振り返りながら、笑みを浮かべた。

「明日の朝、報告出来ます」

 背筋を伸ばして、歩美は答えた。ペンを握る手に力が篭る。

「わかりました。無理しないで下さい」

 軽く会釈をすると、彼が視界から消える。今度は足音が遠ざかっていく。

 息を吸えるだけ吸って、吐いてみた。もう一度。そしてもう一度。最後には踏ん張るように息を止める。

 幾分か落ち着いたところで机に目を落とし、座ろうと椅子に手を添えた時、コンコンとノックの音を聞こえた。

 ひょっこりとまた、編集長が舞い戻ってきて、顔を覗かせていた。