外記が大菱屋から戻ってすぐ、本光院は外記に甲府勤番の話題を持ち掛けてみた。
「甲府…でございますか?」
「さよう、甲府は藤枝家にゆかりある地。しかも江戸に近い。これならそなたも出世できよう」
本光院は昂然と言った。
が。
外記の深意は本光院とは真逆である。
「母上は、それがしのことを何も分かっておらぬ!」
脇息を蹴飛ばすと、再び屋敷を出た。
大菱屋へ登楼すると、
「外記さま、いかがされたのでございますか?」
綾衣が心配そうに外記のうつむいた顔を覗き込む。
しばらく放心していたが、
「…綾衣、すまぬ」
というと例の甲府行きの話をした。
「甲府…遠うございますね」
「で、あろう」
「でも外記さまが出世されるのであれば、綾衣はいつまでもお待ちしております」
「俺が甲府にいるときに身請けでもされたらどうなるのだ!」
「それは…」
綾衣は言葉を返せなかった。



