ヴェルト・マギーア ソフィアと竜の島

「ああ、聞こえないと思うぜ。なんせ今、目の前には、暴食の悪魔さえも理性を失うほどに、欲しくて欲しくて堪らない特異な魔力の存在があるんだからな」

俺はそう告げ、右目を妖しく輝かせた。

「なんだそれは……そんなもの、僕は知らないぞ!」

ヨルンは顔色を変え、全身から焦燥の色を滲ませた。彼が操る黒い粒子たちが、制御を失い俺の魔力へと向かってうめき声を上げ始めたのだ。

「そうだろうな。だってお前は、この黒い粒子……本当の暴食の悪魔について、何一つ本質を知らないんだから」

「そんなことはない! 僕は誰よりもこの子たちを知っている! だって僕はずっとこの子たちを育てて来たんだから!」

「そうだな。己の身勝手で下劣な好奇心と欲望のために、だけどな」

「っ!」

俺の鋭い指摘に、ヨルンは言葉を詰まらせ、憎しみに目を見張った。俺は視線を逸らさず、冷たい怒りを込めて続けた。

「己の欲望のために、この世界に災厄を引っ張りだして、大勢の無関係な人たちを傷つけた。その上、お前のことを心から信じ、巫女の役割を全うしようとしていたザハラの思いを、お前は無残にも裏切ったんだ」

「っ! ザハラ様……」

ヨルンの顔に、初めて明確な動揺の色が走った。

「くっ! お前たち、そいつを喰らえ! 行け!」

ヨルンに命じられた黒い粒子は、一箇所に凝集し、まるで海底の泥が隆起するように黒く巨大な化物へと姿を変えた。その化物は、凄まじい悪臭と共に、俺たちを丸ごと飲み込もうと、おぞましいほど巨大な口を大きく開く。

「タベルタベルタベルタベルタヴェル、タヴェル! タベル! タベル!! 星の涙(ステラ・ラルム)!!」

化物は、その口から圧縮された黒い魔力を放とうとエネルギーを収束させた。

「……悪いけど、そんなものもうこの世には存在しないんだよ!」

俺の持つ二本の魔剣、聖剣レーツェルと炎剣アムールの刀身に、その身の限界を超えるかのように膨大な魔力が瞬時に漲った。俺は大地を蹴り、雄叫びと共に高く跳躍し、二つの剣を頭上に高く、天を突くように掲げた。

「この世界を真の幸福に導くために、彼女(・・)との約束を果たすために、お前みたいな存在は、この世界には邪魔なんだよ!!!」

聖剣レーツェルの刀身には、純粋な金色に輝く聖炎が、炎剣アムールの刀身には、激しく赤紫色に燃え盛る情熱の炎が灯った。二色の炎は、剣の切先で瞬時に融合し、周囲の空間を染め上げる淡くも圧倒的な黄昏色の炎を生成した。

黄昏の絆(トワイライト・プロメッサ)!!」

俺が全てを断ち切るように振り下ろした黄昏の炎は、黒い化物の核を光の線となって真っ二つに両断した。

しかし黒い粒子たちは、その強大な魔力を喰らおうと、斬り口から激しく蠢動し、俺の魔力に食らいついた。だが、俺の放った特異な魔力はそれを許さない。魔力そのものが、粒子たちの結合と存在を内側から断ち切り、崩壊させていく。

「な、なんだ、これ……体が……」

バラバラに分解された黒い粒子たちは、力を失って地面へと落下し、痙攣するようにピクピクと蠢くのみとなった。

「どうだ? この『感情』の味は?」

その言葉に答えるように一瞬、赤黒い影が右目の奥でニヤリと笑ったように見えた。

俺は目の前の光景を冷徹に見下ろし、口の端だけでニヤリと笑った。その瞳は、紅と碧が交錯する、凄まじい力を宿していた。


☆ ☆ ☆


「す、凄い……圧倒的だ!」

黄昏の炎が黒い粒子たちを一撃で制圧したのを見て、俺とロキは呆然と立ち尽くした。

本当にブラッドさんを心から凄いと思った。俺もただ護るだけでなく、あんな風に全てを断ち切る強さを持てたらと、激しく願った。

『さあ、アレス。次はわたくしたちの仕上げの番です』

「わ、分かった!」

俺は目の前のヨルンから視線を切り、目を閉じ、魔剣エクレールに自身の全身の魔力を集中して注ぎ込んでいく。

『白と光の精霊たちよ、わたくしの切なる声が聞こえたのなら、今すぐこの浄化の場に力を貸し与えて下さい』

彼女の静かで、しかし魂に響くような詠唱に呼応し、俺の周囲に純白と黄金の光を帯びた精霊たちが無数に集まり始めた。その数は、森の豊かさを物語っていた。

『白は無への帰還へ、光は清らかなる浄化へ、それぞれの力を持って、黒い粒子たちを元の魂へと還しなさい』

俺は魔剣エクレールをしっかりと握り直し、その刀身を力を込めて、今ブラッドさんが斬り伏せた黒い粒子たちの中心へと突き刺した。

白光の楽園(ヴァイスライト・パラディ―ス)

その言葉と共に、魔剣エクレールの刀身から神々しい光の奔流が解き放たれた。光は、地面に広がる黒い粒子たちを飲み込むように広がり、粒子たちを根源から、優しく、しかし確実な力で浄化していく。

すると、黒い粒子たちに食べられていた精霊たちが、まるで光の玉となって次々と粒子から吐き出され元の姿を現した。

解放された精霊たちは、安堵のため息をつくように瞬くと、そのまま自分たちの居た森の奥へと、光の筋となって帰って行く。

『これでもう大丈夫なのですよ。島に広がる悪魔の力は一掃されました。きっと、精霊たちが元の場所に戻ったことによって、真夜中の森も元の生命力に満ちた姿を取り戻すと思うのです』

その言葉に、俺が安堵で深く息を吐いた時、ふとムニンのことを思い出した。

「そうだ! ムニンは! 侵食は!?」

慌ててムニンへと目を向けた時、ある一人の小さな精霊が、まるで優しく見守るように彼の目の前に静かに浮かんでいた。

ムニンの右胸から広がり始めていた黒い痣は、完全に跡形もなく消え去っているのが見て取れ、俺は心の底から安堵した。

ムニンの前に浮かぶ精霊は、ニッコリと慈愛に満ちた笑顔を向けると、そのままムニンの胸元へ向かい、光の粒子となって彼の体の中へと溶け込むように入っていった。

「確か……レーツェルさんが、月の精霊が付いてるって……」

『はい、その通りです。彼には、とても特別な精霊の加護があるんです』

ブラッドさんの左手に収まっているレーツェルさんから、透き通るような声が直接頭の中に響いた。彼女はそのまま、その特別な加護の真実について言葉を続けた。