紅い唇がつり上がり、何かを企むような笑みをたたえる。フェニル本人はただ微笑んでいるつもりだ、というのは別段説明する必要もないことだろうか。


「そう言うと思ったよ。だが答えは『是』以外許さん」


「……お父様は随分なことを仰るのですね。私に竜人の元へ嫁げ、答えは是のみ、とは……十年前の事件を忘れたとは言わせませんことよ」


 ぎりっと音がしそうなほどに唇を噛み、フェニルは言う。


 十年前、夏の盛りだけ過ごす別邸で起こった凄惨な事件。フェニルは一秒たりとも忘れたことはない。


 あの年、父は業務のため本邸に残り幼いフェニルと母親、そして少数の使用人のみで別邸へ行った。滞在は一月。その間何事も起こらずに過ごせるであろうと誰もが思っていた。


 けれど丁度一週間目の夜、異変は起こった。何者かに別邸が襲撃されたのだ。


 フェニルはとなりにいた母親にしがみつき、震えており、母親は真っ青になっていたことを覚えている。悲鳴、罵声、負の感情が飛び交った別邸。段々とその声は二人の部屋にも近づいてきた。


『ねえ、フェニル』


 その時発された母親の言葉は今もはっきりと思い出せる。


『少し隠れていられる? あの柱時計の中に。暗くて怖いかもしれないけど、お口は閉じて、ね?』


 悲鳴はどんどん部屋に近くなり、フェニルは恐怖ですくみながらも素直に母親の言葉にうなずいた。

 それからの記憶は真っ暗な置き時計の中のチクタクと動く針の音、それと夜が明け悲鳴が聞こえなくなってからの血の海だけだ。
 




                    ――――――あとから事件の詳細を聞いて、事件を起こしたのは竜人だと知った。