四国山地の深い深い山奥に猫谷部落はありました。


昭和時代の初期には、近くには昔から鉱山があり、そこで働く多くの人が住んでいました。


猫谷部落も含めて、周辺には千五百人くらい住んでいて、学校も病院もあったのです。


ところが鉱山は徐々に採掘量が減ってきて、それにつれて働く人も減っていきます。


昭和の中頃には、ついに鉱山は閉鎖されて、働いていた人は誰も居なくなりました。


猫谷部落に残ったのは、林業と川魚の漁をする人と茶畑や果樹園の農業をする人たちだけが残ったのです。


当然、鉱山があった時よりは人口が激減しましたが、それでも住んでいる人は二百五十人くらいは居ました。