実家で飼っていたポメラニアンが死んだという知らせが届いたのは、昨日の夜遅くだった。

悲しいという感情よりも、仕方が無いよなという諦めが勝った。

その子は私が小学生の時に我が家にやってきた。
小型犬の割りに長生きをしてくれて、二十年近く生きたと思う。
札幌に出てからはろくに実家に帰ってなかったけれど、年に一度お正月に顔を出せば、もう立派な老犬なのにちぎれそうなくらい必死で短い尻尾を振って、子犬の頃からかわらぬ黒目がちの無邪気な瞳で私を迎えてくれた。

足元にすりよるその子をそっと抱き上げるたびに、その体の軽さに驚いた。
私が小学生の頃は、腕の中で元気に暴れる子犬を抱きあげるのは、大仕事だったのに。

それは私が大人になった以上に、子犬だったその子が老いてしまったという事だったんだろう。
柔らかな毛の下に感じる、やせてごつごつとした肋骨の感触が、いつも愛おしくて悲しかった。



いつものように会社へ向かう支度をして、お昼用のサンドイッチが入った小さなバスケットを持って、バス停へと向かうつもりだった。

アパートを出て歩き出した時、後ろから聞こえてきたハッハッという小さく早い息遣い。
びくっとして振り返ると、おじいさんにリードを持たれた子犬の柴犬が息を弾ませて散歩しているところだった。

犬の息遣いを聞いただけで押し寄せてきた感情。
取り乱した自分に戸惑いながらふぅ、っと息を吐き出して空を仰ぐ。

その時、風が吹いて、背中を押された気がした。

今実家に向かえば、あの子に会える。
それがもう体温を失った動くことのない魂の入れ物だったとしても。

あの茶色い毛並みの柔らかな手触りを思い出す。
今日は金曜で、有給は十分に残っていた。
足はバス停ではなく、駅へと向かった。