蒼 「今日は居ないんだ……また外商中なのかな。
  満智子、遅いよー。
  彼氏とばかり喋ってるから、私はもう食べ終わっちゃったよ」
男性の声「あの……」
蒼 「え?満智子じゃなかった。
  はい!すみません。てっきり友達かと……
  (えっ…うそ!)」

私は聞こえてきた男性の声に、慌てて立ち上がり振り返った。
そこに立っていたのは満智子ではなく、愛しの電車の彼だったのだ。
予想だにしない出来事に、私の全身は緊張感に包まれ硬直する。

真一「やっぱりそうだ(笑)
  僕のこと知ってます?
  毎日通勤のとき同じ電車に乗ってて、オフィスも近いよね。
  多分だけど」
蒼 「あぁ。は、はい」
真一「あっ、急に話しかけてごめんね。
  僕は紺野真一と言います。
  すぐそこの黄金通信社に勤めてます。
  僕、公園のカフェでいつも食事してるんだけど、
  貴女がこのベンチで、お友達と食事してるのをよく見かけるから。
  今日は一人なの?」
蒼 「いえ、彼女は電話がはいって、今は居ないんですけど。
  名刺ありがとうございます。
  あの、私は金賀屋蒼と申します。
  オフィスは、紺野さんの会社の向かいの採光化粧品で、
  すみません、私は名刺がなくて」
真一「君の勤め先って採光化粧品なんだね。
  向かいの会社だったんだ。
  実は通勤の時にね、凄くいい香りがするなと思って見たら、
  いつも僕の傍に君が居て、ずっと気になってたんだよ。
  今も声をかけて、香りの主がはっきり確定したよ」
蒼 「あっ。香り、ですか……」
真一「あぁ、ごめんね。
  そんな理由で声かけるなんて不純な動機だよね。
  でも、毎朝憂鬱な気持ちで通勤してても、
  その甘くて優しい香りを嗅いでいるとなんだかホッとするんだ。
  一日頑張れるって言うかさ……」
蒼 「そう、だったんですか」
真一「変だね。初めて話す人にこんな話しするなんて」
蒼 「そんな変じゃないですよ。
   私も……電車で紺野さんのお姿見かけてました。
   紺野さんの通勤する姿を毎日お見かけしてると、
   嫌な気持ちを抱えて行く会社でも、頑張ろうって思えてるから」
真一「本当に?それって、貴女も僕を見ててくれたってことだよね。
  それは光栄だな。
  なんだかすごく縁を感じるよ」
蒼 「そうです、ね。
  私も縁を感じます。
  こうやって話しかけて貰えて光栄です」
真一「そっか(笑)
  じゃあ、『甘い香りが取り持つ縁』ってことで、
  これから宜しくね。蒼さん」

彼は手を出して私の手を両手で強く握りしめた。
私の心臓は、破裂するんじゃないかと思うくらいドキドキしている。

紺野同僚「おーい!紺野!食事に行くぞー!」
真一「おお!そろそろ行かなきゃ。
  話せて良かったよ。
  今度一緒にランチでもしながらゆっくり話そうね!じゃあ!」
蒼 「は、はい。また話しましょう」


彼は爽やかな笑顔を残して、会社の人たちと去って行った。
私は小さく手を振り、どんどん小さくなっていく彼の姿を見つめる。
ほんわかした幸せに浸っていると、電話を終えた満智子が戻ってきた。

満智子「ねぇ、さっき見えたんだけど、
   スーツの男性と話してたよね。誰?」
蒼  「それはね、電車男の紺野真一さんと!」
満智子「え!?あの蒼がいいって言ってた電車男!?」
蒼  「うん」
満智子「蒼、偉い!
   やっと恋に目覚めて、意を決して自分から彼に声かけたのね!」
蒼  「それが、彼から話しかけられて、
   私のこと電車で覚えてくれてて、私の香水の香りまで覚えててさ。
   今度一緒に食事しながらぁ、話そうなんて言われたの」
満智子「蒼ー!凄いじゃん。やったね!」
蒼  「うん、まあね」

ふとカフェに目をやると真一さんはオープンスペースに座り、
私たちに向かって手を振ってくれたのだ。
満智子と私は突然湧いたような状況に、公園のベンチに座って大騒ぎだった。
夢のお告げは……本当だったのかもしれない。
そう思わずには居られないほど、私の恋心は興奮していた。


昼休みが終わり会社に戻ると、
私はまた高中さんから呼ばれて辞表を返される。
そして、新井さんも泣きながら私に謝ってきた。
私が食事に出かけた後のこと。
商品管理部の先輩がコピー室のゴミ箱から、
私のサインが入った顧客管理の返却伝票を見つけた。
そして高中さんに報告したらしく、新井さんに問い質したところ、
彼女は泣きながら事実を話したという。
実は以前から、こんなことは多々あったのだけど、
先輩たちに話せば、言い訳がましくなるのが嫌で事実を伝えなかった。
私のそんな日々の行動が、結果的に自分を追い込む形になったのだ。
今の私は真一さんと話しをしてお近づきになれた嬉しさで、
悔しさなんていつの間にか飛んでいき、とても寛大で居られる。
そして塞き止められてたものが上手く流れ出したようにも感じていた。


無事一日の業務が終わり、私はいつものように会社を出た。
明日からも会社を辞めることなく出社はできそうだ。
私はニヤニヤと思い出し笑いをしながら駅へ向かって歩く。
すると昨日と同じ場所に、ブルーシートを広げ、
絵を並べてスケッチしている奏士くんを見つけて思わず立ち止まる。

蒼 「あっ……今日も居る。
   夢のせいかな。むちゃ意識しちゃうじゃない。
  やっぱりここは、素通りしたほうがいいわね」

私はゆっくり歩きながら近づいて、そのまま通り過ぎようとした。
すると俯いて黙々とスケッチしている彼が私を呼び止める。

奏士「赤いメガネのお姉さん!シカトするんだ」
蒼 「えっ。シカトなんてし、してないわ。
  (な、なんで、見てないのに私だって分かるのよ)
  真剣に絵を書いてるみたいだから、声を掛けたら悪いなと思って」
奏士「ふーん。悪いと思ってねー。
  なんか声上ずってるし」
蒼 「あぁ……」
奏士「ねぇ、あの絵飾ってる?」
蒼 「え、ええ、部屋に飾ってるわよ」
奏士「ふーん」
蒼 「な、何よ。な、何じっと見てんの」
奏士「んーっ。お姉さんの今日のオーラ。
  ピンクとレモンイエローだね。
  もしかして、何か良いことあった?」
蒼 「え!?」
奏士「今日の蒼さん、すごく綺麗だからさ。
  何か良いことあったんだなと思ってね」

本当に千里眼を持っているのか、
何か言いたげな彼の瞳はまだじっと私を見つめている。
動揺し心を乱された私には、
笑ってその場を遣り過ごすしか浮かばなかった。

蒼 「ははっ、綺麗なんてそんな本当のことを。
  奏士くんって、案外いい人なのね」
奏士「え!?なんか気持ち悪いなぁ。
  昨日会ったときはカリカリして凄く怒ってたのに、
  素直にそう言われると……
  もしかして昨日って女の子の日だった?
  まさか更年期ってことはないよね」
蒼 「ちょっと!そんな年じゃないわよ。
  それに女の子の日なんて、そんな恥ずかしいこと聞かないで。
  そういうところがひとこと余計だっつーの!」
奏士「それそれ!
  そうでないとお姉さんらしくない(笑)」
蒼 「ふぅ。まぁ、いいわ。
  奏士くんって、いつもここで絵を描いてるの?
  この絵は売り物なの?」
奏士「ここにある絵は、欲しいと言う人にだけ売っててね、
  値段はその人の言い値で買って貰ってるんだ。
  今までは公園の先の神社で、散歩する人とか動物とか、
  参拝にくる人たちを描いてたんだけどね。
  駅っていろいろな人生の色を持った人たちが集まりやすい場所だから、
  ここは描くには持ってこいの場所なんだよ」
蒼 「ふーん、そうなのね。人生の色か……」
奏士「お姉さんもそうだよ。
  蒼さんの色が一瞬で僕の目に止まったんだ」
蒼 「私の色……」
奏士「吸い込まれるようなブルー。
  ずっと見ていても癒される海のブルー。
  蒼さんは無限に惹きつけるパワーを持ってる人なのに、
  気づいてないみたいだから、あの絵プレゼントしたの。
  はい!プレゼント」
蒼 「え?またくれるの。売り物でしょ?」
奏士「これは即興で書いたものだから売り物じゃない。
  もっと自分を知りなよ。
  こんなに良い色たくさん持ってるのに」
蒼 「えっ……」

彼は私に用紙を渡すと優しく微笑み、
新しい画用紙にスケッチをし始めた。
もらったその絵には幸せそうに微笑む私が居て、
鮮やかなグリーンの芝生から、
ピンクとレモンイエロー、オレンジ色の花びらが空に舞い上がっている。
それはそれはとても幻想的な絵だった。

蒼 「なんて素敵な絵……
  これが今の私の色なの?」
奏士「そうだよ。
  今日か、昨夜かもしれないけど、
  誰かお姉さんの心の色を引き出した人が居るみたいだね」
蒼 「えっ!?」
奏士「恋していないと、そんな鮮やかな色は出てこないから」
蒼 「な、何を根拠に私が恋してるなんて分かるのよ」
奏士「ん?僕は天才で千里眼を持ってるって前に言ったよね」
蒼 「だから、自分で言うかな」
奏士「でも、僕ならお姉さんの心の色、
  もっと明るく鮮やかな色に引き出せるよ。
  僕と恋愛してみる?」
蒼 「ええ!?
  (コイツは恥ずかしげもなく、なんちゅうーことを言うの)
  奏士くん、な、何を唐突に言い出すの!」
奏士「僕はマジで言ってるんだけど。
  僕が蒼さんの隠れた色出してあげる。
  ねぇ、僕の恋人にならない?」
蒼 「はぁ!?」


奏士くんは視線を逸らそうとはせず、
無言のまま私の目をじっと見つめている。
私は彼の透き通るようなブラウンの瞳に吸い込まれ、
胸が苦しくて息ができなくなるくらいハートはキュンとないた。
一日の終わりを告げるように薄い朱色の夕空が街全体を包み広がっていく中、
私たちの視線はお互いの心を探り合うように絡んでいた。

(続く)