向かった場所は【SOUND】
扉を開けると、マスターのいつもと変わらない笑顔が向けられる。
「あれ、珍しい組み合わせだね?」
「あっマスター、その説はお世話になりました。」
「いや、わたしは何もしてないよ。 車を呼んだだけだから。」
「今日はどうする?」とマスターが聞くと、「俺は、いつもの。」と樋口さんは言った。
やっぱり…
私が気付かなかっただけで、常連さんなのかな…?
「じゃ、わたしは… まえに樋口さんが頼んでくれたものを?」
「やっぱり、俺のこと気に入ったんだ?」
「違う… あなたをじゃなくて、お酒をです! 美味しいかったから…」
「じゃ、彼女にミント・ジュレップを?」と樋口さんが頼んでくれた。
カクテルを作るマスターへ「マスターいい?」と、彼は声をかけた。
するとマスターは、微笑んで掛けていたレコードを止めた。
店内を流れていた音が消えると、お客さん達の会話が雑多として耳に入ってくる。
そんな中、樋口さんがピアノへと向かって行くと、沢山の拍手がおきる。
「ねぇ、マスター。 樋口さんて、良くここでピアノ弾くの?」
「良くってほどじゃないけど、気分が向いたらってとこかな?」
「彼って何者?」
「え? 桜ちゃん、樋口さんから何も聞いてないの?」
「うん… 聞いても教えてくれないの…」
「そっか… 本人が教えてないなら、私からは教えられないよ?」
やっぱり、マスターも駄目か…
マスターと話してると、樋口さんのピアノ演奏がはじまった。
「ねぇマスター、この曲のタイトルってなに?」
「ん?」
「聴いた事有るんだけど、タイトルが思い出せなくて?」
「彼に聞いてごらん?」
樋口さんが弾いてる曲は、前回と同じ曲だった。
でも、やっぱり、わたしの知ってる曲と違う気がする。
樋口さんは、一曲だけ弾き、お客さんからアンコールを求められても、丁重に断り戻ってきた。
「ねぇ、樋口さん、いま弾いた曲のタイトルってなんて言うですか?」
「さくら。」
「さくらか… 凄く懐かしい気がする。」
「知ってるの?」
「うん… 多分… でも、こんなに寂しい曲じゃなかった気がするんですけど?」
「うん。本当はもっと、ステキな曲だよ?」
「へー、じゃ、樋口さんが下手なんだ?」
「だろな…。」
そう言う樋口さんの顔が、曇って見えたのは気のせいだろうか?

