洋佑はじっと私を見つめ、
私がなんと言葉を返してくるのか待っていた。
ニキさんの家から私の家まで、車ならそんなにかからない。
もしかするともうそろそろ、下までたどり着く頃かもしれない。
そう思うと冷静ではいられない私は、窓の外を覗きこんだり、
逃げ場を失った動物のように部屋中を動きまわる。
そんなひきつり顔の私の姿を見て、洋佑は急に小さな溜息をついた。


洋佑「ふっ(笑)まったく。
  伊吹。俺、帰るよ。
  これ以上ここに居座ってるとまた嫌われそうだから」
伊吹「嫌うなんて。そんなことは……」
洋佑「今日訪ねたのだって、
  昔のことを穿り返したいわけじゃないしな」
伊吹「洋佑……」
洋祐「伊吹。仕事のこと、よろしくね。
  俺もブランクあるからいろいろサポートしてくれよな」
伊吹「うん、こちらこそ宜しくね。
  私でわかることはサポートするから」
洋佑「じゃあ、帰るね」

洋佑は立ち上がると玄関に向かう。
私はほっとして、洋佑を見送るために彼に近づいた。
すると、急に振り返った洋佑は私を力強く抱きしめる。


伊吹「ち、ちょっと(焦)洋佑、こんなの困るよ」
洋佑「伊吹。覚えてるか?
  最後に俺が言った言葉」
伊吹「最後の言葉」
洋佑「本当に大切に想う相手が困ってる時は、
  どこにいたって飛んで逢いにいく。
  伊吹が困ってる時や辛い時は、必ず飛んでくる」
伊吹「そうね……そう言ってくれたよね」
洋佑「別れて3年半経ったって、その気持ちは変わってない。
  もし、あの女がまた訪ねてきたら遠慮せずに言えよ。
  夜中だろうと遠くに居たって、
  すぐに伊吹の許に飛んでくるから」
伊吹「洋佑……」


洋佑は優しい目で涙ぐむ私の両頬に手を当てると、
軽くキスをして玄関を出ていった。
私は不意を突かれて固まったまま、
洋佑の帰る足音を聞いていた。





階段を下りて外にでたところで、洋佑はニキさんと出くわす。
車から降りてアパートの窓を見上げるニキさんは、
出てきた時からガン見している洋佑を見ると、
何かを察したように立ち止まる。



向琉「あの、僕になにか?」
洋佑「もしかして君が、さっき伊吹に電話してきたニキさん?」
向琉「ええ。もしかして……遠藤さん、ですか?」
洋佑「そうです。伊吹なら部屋に居ますよ」
向琉「そうですか。では、失礼します」


ニキさんは、洋佑の横を通ってアパートの玄関に入ろうとした。
すると、洋佑はすれ違いざまにニキさんの腕を構える。


向琉「……」
洋佑「伊吹のこと泣かしたら、俺が許さないからな」
向琉「は?」
洋佑「あのおかしなケバい女のことも、
  大学教授の冬季也って奴も、
  そしてニキさん、君も。
  伊吹を困らせたり泣かすようなことをしたら、
  俺はぜったいに許さないんで、
  それだけは覚えておいてください」
向琉「解りました。よく覚えておきます。
  僕は伊吹さんを大切に想っているので、
  彼女が泣くようなことはしませんよ」
洋祐「そうですか」
向琉「はい。遠藤さん、僕も伝えておきます。
  あなたが伊吹さんの困ることや泣くようなことをした時は、
  僕が許さないんで」
洋佑「ほうー。
  それは俺に宣戦布告してると思っていいのかな」
向琉「ええ、いいですよ。
  仕掛けてきたのはそちらですからね」
洋佑「ふん。それじゃ、失礼するんで。
  あの女のことどう対応するのか見ものだな」
向琉「ご心配には及びませんから。失礼します」


ニキさんは掴まれた手を振り払い、
アパートのエントランスへ入っていく。
洋祐は先ほどまで居た私の部屋を見上げ、
「おやすみ」と言って帰っていった。


部屋に居た私には、
このふたりが密かな火花を散らしていることなど知らず、
玄関のフローリングにペタンと座ったままぼーっと想いだしていた。



〈伊吹の回想シーン〉

4年半前。
幼稚園の遠足の下見に都内の動物園へ行った。
職務中なのに、まるでデートのような楽しさ嬉しさ。
彼の博識ある会話、場の空気を決して暗くさせない人格。
私はそんな洋祐が好きだった。



伊吹「ねぇ、洋佑」
洋佑「ん?何?」
伊吹「何故フラミンゴはあんなに赤いのかな」
洋佑「ああ(笑)
  それは、フラミンゴが赤い色素の含まれた藻を好物としてるから」
伊吹「えっ。藻を食べてるの?」
洋佑「そう。その色が体組織に沈着して赤くなるんだ。
  動物園では色素を混ぜた餌をやるんだよ」
伊吹「へー!洋佑って、フラミンゴのことに詳しいのね」
洋佑「まぁね。
  子供の頃、動物園でフラミンゴをきれいだなぁって見てたら、
  母さんが『フラミンゴは子育て上手なのよ』って教えてくれたんだ。
  子ども好きってものあるけど、俺が保育に興味を持った原点かな」
伊吹「そうなの」
洋佑「フラミンゴの親は喉にある、
  “フラミンゴミルク”という栄養豊富な分泌液を出して、
  ヒナ鳥に口移しでそのミルクを与えて子育てをするんだよ。
  母乳を分泌する哺乳類以外で、そんな子育てをするのは珍しいんだって」
伊吹「へー。“フラミンゴミルク”
  なんだか美味しそうね」
洋佑「そうだな。
  それに、ああやって片足で立ってるのは体温を守るだけじゃなくて、
  外敵が来たときにすぐ逃げられるようにするためだって言われてる」
伊吹「そうなんだね。
  なんだかそれって人間だったら心休まらないよね。
  私が片足で立ってて、もし誰かから襲われたら逃げられないわ」
洋佑「あはははっ(笑)そうだな。
  もし伊吹が誰かに襲われそうになったら俺が助けてやる。
  お前が辛い時や悲しいことがあった時は、俺がすぐ駆けつける。
  一人で踏ん張って立ってなくてもいいんだ。
  だから何も心配はいらない」
伊吹「洋佑……うん。
  なんだかスーパーマンみたいね」
洋佑「そうだよ。
  愛してる人のためならスーパーマンにだってなるさ」
伊吹「フラミンゴを好きなスーパーマンね。
  なんだか迫力ないな(笑)」
洋佑「そう言われればそうだなぁ(笑)」


帰り際に放った洋佑の言葉で昔の私たちが蘇ってくる。
あのころは洋佑との何もかもが楽しかった。
いつも洋佑と一緒だったけど、愛ゆえに苦しみもした。
時は何もかもを変えていくんだと、想いだす度に教えられる。
何だか懐かしくもあり、それでいてとても悲しい気持ち。
私の心は無茶苦茶不安定で、まるで高くつみ重ねた積み木のように、
ぐらぐらと揺れて今にも崩れそうだった。

(続く)