冬季也「あのね。さっき居た女性は……僕の恋人」
伊吹 「えっ……
   (あの人が、冬季也さんの……恋人!?)


私は冬季也さんの口からこの二文字がでた瞬間、
頭の中は真っ白になった。
眼中にはなかった人物。
とんでもないライバルの出現に、
思わず両目から自然に大粒の涙があふれる。
それを見ていたニキさんも、
私の意外な一面を見てさっきとは打って変わり、
無言で慰めるような優しい表情になる。
彼の部屋の空気は突然、緊張感に包まれ一変した。


流れ出す涙を必死で止めようとしていたけれど、
止めようとすればするほど、意に反してどんどん溢れてくる。
それは彼の言葉が、
今の私のハートにはあまりにもショックだったから。
分かっていたこんな結末。
でも、もしかしたらってほんのちょっとだけ期待していた。
心の片隅で、彼と過ごす優しい時間を想像しながら。


冬季也「ごめん。彼女は僕の恋人なんだよ。
   僕は一生、彼女と歩いていくつもりでいるんだ」
伊吹 「(もうやめて……
    これ以上聞くと私のハート、壊れそうだよ)
   もういいですよ、冬季也さん。
   よく分かりましたから。
   それ以上は言わなくても、もう……」
冬季也「伊吹ちゃん」


それまで黙って私を見守るように見ていたニキさんが、
堪り兼ねたように深い溜息をつき、
力強い口調で不機嫌そうに語りだした。


向琉 「はーっ。違うでしょ、先輩」
伊吹 「(えっ。違う……)」
向琉 「そうやっていつも自分に言い聞かせるように言ってるけど、
   あれは僕の兄貴にくっついてた女で、
   先輩は間に入ってとばっちり受けただけでしょ。
   何度も言ってるけど、あんなことで先輩が責任感じて、
   彼女の言いなりになる必要なんかないですよ」
冬季也「ニキ……」
向琉 「兄貴も兄貴だけど、先輩も先輩ですよ。
   男の友情もここまでくると呆れるな。
   まぁ。なんだかんだ言っても、諸悪の根源はあの女なんだけどね」
伊吹 「あ、あの。詳しく聞かせてもらっていい?
   それって、どういうことなの?」

わけが分からず戸惑う私の問いに、
二人は顔を見合わせて黙っていた。
けれどニキさんが冷静に答える。


向琉 「先輩。僕から話していいですか」
冬季也「あ、ああ」
向琉 「あの女、僕の兄貴に惚れてたみたいでさ、
   一年半前からずっとストーカーみたいに付きまとってたんだ」
伊吹 「ストーカー?」
向琉 「兄貴の出勤時間や帰宅時間はもちろん、
   休日出かける時もずっと後をつけてくる。
   行動がわからない時は兄貴が帰宅するまで待ってて、
   部屋の電気がつけばずっと外で立って見ててさ」
伊吹 「えっ……」   
向琉 「兄貴には彼女がいるんだけど、
   それを知った途端に行動はエスカレート。
   兄貴の彼女にまで嫌がらせをするようになって、
   とうとう堪り兼ねた二人は先輩に相談したんだ。
   僕は警察か探偵事務所に相談に行けって言ったんだけどね」
伊吹 「そんなに酷いの」
向琉 「ああ。
   それである時、僕と先輩で相談して証拠写真を撮って、
   彼女の自宅と勤め先を突き止めて警告しに行ったんだ。
   今後、嫌がらせやストーカー行為を止めるようにって。
   止めないと公的手段にでるって脅しながらね」
伊吹 「あ、あの。
   聞いてて何だか混乱しちゃうんだけど、
   そんな人が何故、冬季也さんの恋人になるの?」
向琉 「彼女のターゲットが変わったんだよ。
   兄貴から先輩に。
   それで、今度は先輩のマンションに毎日来るようになって」
冬季也「彼女は、僕の部屋で自殺しようとしたんだ。
   だから僕に責任の一端があるから」
伊吹 「えっ!?冬季也さんの部屋でって、
   彼女は勝手に部屋へ入ったってこと!?
   それじゃ不法侵入じゃない」
向琉 「先輩。それは彼女の我儘、
   自己愛から起こしたことでしょ。
   だいたい、人の部屋に勝手に上り込んで死のうとするなんて。
   僕はそういう奴がいちばん嫌いなんだ!
   身勝手にも程がある。
   あの女のやってることは立派な犯罪なんだから、
   先輩や兄貴が責任を感じることはひとつもないんですって!
   彼女の身勝手のせいで、
   結局、先輩は住む場所を追われてここに居るんですよ」
冬季也「でも。なんであれ、僕が傷つけたのは事実だから」
伊吹 「そんな理不尽なこと……」


私は、二人から事の経緯を聞いてやっと、
今までのニキさんの行動が理解できた。
だからこの二日間、ニキさんは土手に居る冬季也さんを迎えに行き、
私に話があると言っても強い口調で突っぱねていたんだ。
あの女性を振り切るように逃げたことも納得できた。
ひと時、二人のそんなやりとりと真実を聞きながら、
彼女は冬季也さんが心から愛する人ではなかったことに、
少しだけほっとし胸を撫で下す。
だけど、肝心な私の告白の答えはもらえなかった。



(向琉の車の中)

話しが終わって、ニキさんは冬季也さんを部屋に残し、
自家用車で私を自宅まで送ってくれた。
帰る途中で荒川の土手に回り、
あの場所に立ち寄ってくれたのだけど、
放置されたままの自転車は既にそこにはなかった。


向琉「ごめん。自転車盗まれちゃったね」
伊吹「あっ。ええ。でもいいわ。
  もう古かったし、買い替えどきだったからね」
向琉「そう」


私のアパートの前に車を停めたニキさんは、
俯き加減の私の顔を覗き込むように見る。
冬季也さんと話していた時の険しい彼とはまったく異なり、
穏やかな優しい微笑みを見せた。


向琉「さっきの君、子供みたいだったな。
  あんなに泣きじゃくって……
  いつもああだと可愛いのに」
伊吹「えっ……」
向琉「やっぱり女なんだな」

ニキさんはつぶやくように言うと、
車を降りて助手席のドアを開けた。
私は彼の意外な言葉に動揺してしまい、
バッグを両手で抱えてそわそわと落ち着かない。
無言で車から降りた私の頭にぽんぽんと触れる。
そして笑顔で手を振り車に乗り込むと、
再度手をあげて帰っていったのだ。
愛すれど心は寂しく、愛するがゆえに哀しい。
そんな複雑な気持ちを抱え、
私は彼の車のテールランプが見えなくなるまで見送った。



(伊吹のアパート“ベルメゾン301号室”)


チャコ「ミャーッ!ミャーッ!」
伊吹 「あーっ。チャコごめんねー。
   お腹すいてるのね。今あげるから」


家に戻った私は、鳴きながら足にまとわりつチャコに餌を与えると、
直様ベッドに投げたバッグから携帯を取り出し、
親友の沙都莉に電話した。
そして彼女にこの二日間で起こった出来事を話す。
私の許へニキさんがきたことは勿論、
片思いの男性が居たことも驚いていた。


沙都莉『はぁー!?何それ。
   なんで、その冬季也さんって人が責任感じるの』
伊吹 「私にもわからないわよ。
   でも、彼はそう言ってるんだもの」
沙都莉『って言うかさ。
   私はイブに4年も想い続けてた人が居たことに驚きだわ。
   それにいつの間にかアダムくんとの事も進展しちゃってるし』
伊吹 「沙都莉、冬季也さんのことはね、
   本当に片思いで何となく憧れてただけだから言わなかったの。
   現実的に考えたら、やっぱり彼氏としてなんて無理だったのよね。
   それにニキさんとは、進展なんてないんだから」
沙都莉『でも、彼のマンションまでお邪魔したんでしょ?
   本気じゃなきゃ、自分のテリトリーに招き入れたりしないよ』
伊吹 「だからそれは、あの女の人から逃げるためで」
沙都莉『ムキに否定しなくていいじゃない。
   彼から好きだって言われたんでしょ?』
伊吹 「まぁ、そうだけど……」
沙都莉『イブの相手がアダムくんでも、冬季也さんでも、
   イブが輝く恋愛できて、
   幸せを感じるなら私はいいって思ってるのよ。
   でも、そうなると姫ちゃんとユウくんはどうする?』
伊吹 「あのね、沙都ちゃん。
   私はまだニキさんと何かがあったわけじゃないの」
沙都莉『そんなの時間の問題よ。
   姫ちゃんはアダムくんにゾッコンだし、
   二人の友情にもヒビが入りかねない問題だわ。
   それこそさっき姫ちゃんから電話かかってきてさ。
   今度のトリプルデートに着ていく服、
   明日のアフター5でコーディネートしてって頼まれたのよ』
伊吹 「はぁ。姫はあいつにかなりの本気モードなんだ」
沙都莉『そうよ。
   かなりってもんじゃないわよ。
   それにユウくんも、
   イブ一直線にいくってナイトに宣言したらしいから』
伊吹 「えっ!!」
沙都莉『きっとイブにとってモテ期がきてるんだと思うけど、
   自分の心はいちばんに誰を求めてるか、
   誰と居れば本当の自分を出せるのか。
   少しはそういう事実を把握して心に留めておかないと、
   気持ちがブレちゃって、最後にはひとりで抱え込めなくなるわよ』
伊吹 「うん、分かってる。
   ていうか、沙都ちゃん。
   さっきナイトさんのこと呼び捨てにしてなかった?」
沙都莉『え、ええ(焦)』
伊吹 「もしかして二人はもう……
   お互いに呼び捨てにし合っちゃうような仲ってことはないよね」
沙都莉『えっ(焦)いやぁー。
   それが実は……そういう仲になっちゃってぇ(照)』
伊吹 「早っ!」
沙都莉『彼、無茶押し強いし完全肉食系でさ。
   そういうことはタイミングも大事なのよ。
   私も“時は来たれり”ってことかな』
伊吹 「はぁー。そうなんだ」
沙都莉『だから私とナイトは、
   今度の日曜日は二人でデートする予定だから、
   イブはダブルデート頑張りなよ』
伊吹 「えっ!沙都ちゃん、行かないの!?」
沙都莉『当たり前じゃない。
   お子ちゃまデートじゃないんだから。
   なんでお手手繋いでみんなして動物園なんていくのよ』
伊吹 「はぁ。動物園?」
沙都莉『ええ。なんでも姫ちゃんのたってのお願いらしいわ』
伊吹 「えーっ。なんであの子、動物園なんかに」
沙都莉『とにかく楽しんでね。
   私はナイトと大人デートを楽しむわ』
伊吹 「そんなぁ」

ピンポーン!

伊吹 「あっ!誰か来た。
   じゃあ、また電話するね」
沙都莉『ええ。もし、悩んだらいつでも言ってよ。
   じゃあね』
伊吹 「うん。じゃあ!
   誰だろう……こんな時間に人なんて来ることないし」

ピンポーン!ピンポーン!


伊吹「はーい!どなたですか?」

執拗にドアホンを鳴らす訪問者。
私は声をかけながら、ドアの覗き窓から外の様子を伺った。
眼球に飛び込んできたシルエットを見た途端、
背筋に戦慄が走り体は緊張で硬直する。


ドンドンドン!


しかもドアの向こうの人物は無言のまま何度もドアを叩いてる。
その不気味な音に私の体はビクッ!と反応し、
先ほどよりも強い戦慄が体中を突き抜ける。
鍵のかかった玄関のドアノブを持つ手が、
じわりじわりと汗ばんできた。
沙都ちゃんと話してた時に芽生えた恋への期待感は、
降って湧いたような恐怖心にかき消されていったのだ。


(続く)