(東京、荒川河川敷)


冬季也「ニキ……」
伊吹 「えっ」


あぁ。なんというタイミングの悪さだろうか。
私と冬季也さんの会話は当然聞こえているはずがないのに、
彼の顔はすべてを見抜いてるような表情に見えて、
私は声をかけることもできずにいる。



向琉 「教授、お待たせしました。行きますよ」
冬季也「あ、ああ。
   ニキ、ちょっと待ってくれるかな。
   僕は少し伊吹ちゃんに話しがあるんだ」
向琉 「早くいかないと駄目ですって。
   また困ることになりますから。
   あん……おっと(焦)伊吹さん」
伊吹 「おっと?」
向琉 「申し訳ないけど教授はもう行かなきゃいけないから、
   また今度にしてくれるかな」
伊吹 「(なんなの、こいつ!いきなり来て話に割り込んできて)」
冬季也「お、おい、ニキ。少しの時間だからさ」
向琉 「もう片付け終わりました。
   さぁ、行きますよ」


画材道具を片づけながら説得する冬季也さんを、
諭すように割り込んでくるニキさん。
淡々と片づけを手伝い、デリカシーのない彼の言葉に、
私はとうとう堪忍袋の緒が切れて、
今まで胸に溜りたまってた感情を一気にぶちまけてしまった。
画材道具を抱えるニキさんは、
憤慨する私の顔をじっと見つめキョトンとしている。


伊吹 「ちょっとニキさん。
   本当に空気の読めない人ね!」
向琉 「えっ」
伊吹 「さっきから冬季也さんが、
   私に話さないといけないことがあるって言ってるでしょ。
   私たち今、大切な話をしてたの。
   途中から人の会話に割り込んできて、
   あなたがあれこれ言うのおかしいわよ」
向琉 「それなら別の場所で、別の機会にすればいいだろ」
伊吹 「意味わからない!
   それは冬季也さんが決めることよ。
   冬季也さんから言われるなら納得もいくけど、
   あなたからとやかく言われることではないわよ」
向琉 「……」
伊吹 「まったく!いつも自分勝手に人の心の中までズカズカと」
向琉 「教授!早くしないと本当に困りますよ」
冬季也「ああ。分かってるけど……」
伊吹 「ち、ちょっと、人の話し聞いてる?」


私はニキさんの険しい顔をみてふっと思った。
どうして彼が冬季也さんにここまで強く言うのか。
彼の顔を見ていると急に、
人の意見を無視して言い通す理由を知りたくなった。
でもここでストレートに聞くと、
冬季也さんに失礼かもという思いもある。


どうしていいか悶々と考えを巡らせていたその時だった。
遠く向こうの方から、
冬季也さんの名前を叫ぶ甲高い声が耳に入ってくる。
私は目を凝らしてその声のするほうを見た。
するとなんと、盛り髪で化粧のケバい女性が、
キラキラした髪袋をいくつも持って、
満面の笑みで小走りにやってくるではないか。


女性の声「あっ!!冬季也がいたー!
    キャーッ!冬季也ー!!」
冬季也 「うぁ!」
向琉  「くそっ!間に合わなかった」
伊吹  「えっ。間に合わなかったって何が?」
向琉  「教授!全速力で走りますよ!」
冬季也 「あ、ああ!」
向琉  「君も一緒に来い!」
伊吹  「えっ!私も!?って。私は自転車が」
向琉  「自転車なんか後でいい!」
女性の声「ちょっと。また逃げるの!?
    待ちなさいよー!冬季也ったらぁー!」



ニキさんは私の腕を力強く引っ張った。
冬季也さんはカメラのスリングバッグと画材バッグを持ち、
土手の小道を走って一般道に出る階段を駆け下りる。
狼狽える私は自転車の前かごに入れていた道具を取った。
と同時に、ニキさんは小脇に画材道具を抱えたまま、
私の左手をギュッと掴んで土手の小道を駆け下りたのだ。
私は引きずられるように、
ニキさんと一緒に冬季也さんの後について思いっきり走り出す。
突拍子もない彼らの行動に戸惑いながらも、
声を張り上げるあの女性が、
厄介な存在だということだけは分かった。


でも何故!?
私は頭の中にクエスチョンマークがいっぱい浮かべたまま、
彼らと共に訳わからず走る。
とにかく走る。
私の一世一代の告白は、
ニキさんと訳の分からない女性の登場でかき消された。
しかもニキさんが一緒に居る中で、
冬季也さんから答えもらう羽目になるかもしれない恐怖。
そんなことになったら、
ムードも何もあったものじゃない。
身体の奥からだんだん腹立たしさが襲ってきた。


伊吹 「ち、ちょっと、痛いわよ!
   それにどこまで走って逃げるのよ!
   いったいあれは何者!?」
向琉 「後で話す!
   とにかく安全なところまで走るんだ!」
伊吹 「えーっ!安全なところって。
   なんで私がこんなことに巻き込まれるの。
   自転車のキーつけたままだし、盗まれたらどうするのよ!」
冬季也「伊吹ちゃん、ごめんね!
   理由はあとでゆっくり話すから」
向琉 「いいから2人とも黙って走る!」 


私たち3人は、はぁはぁと息を切らしながら、
小さな工場や民家の立ち並ぶ路地を抜け、
あるマンションのエントランスに駆け込んだ。
そしてニキさんは鍵を開けると、
エレベーターで9階まで上がり、通路の一番奥の部屋へ入る。
そこはニキさんの自宅だった。



私たちの息が落ち着いた頃、
ニキさんがコーヒーを出してくれた。
先ほどの怖い形相の彼は何処へやら。
マグカップを手渡すニキさんは、
別人のような穏やかな表情を浮かべている。


(向琉のマンション、リビング)



向琉 「先輩、どうぞ」
冬季也「サンキュー。ニキ、すまなかった」
向琉 「もういいですよ。
   うまくまいたし、気にしないでください」
冬季也「あぁ……」


ニキさんのマンションは3LDKでとても広い。
しかも女の私の部屋よりもすっきりしていて、
ローチェストもキッチンも綺麗に片付けられていた。
眺めていると私のワンルームがとても質素に感じる。
私は興味津々にきょろきょろと部屋を見渡し、
彼とこの部屋のギャップに驚いていた。
するとコーヒーカップを両手に持って、
リビングに入ってきたニキさんが私の姿をみるなり、
いつもの口調で話し出す。


伊吹 「私より女子力高そう……」
向琉 「あのさ。
   人のこと刑事の尋問みたいとか言ってたけど、
   どっちが刑事みたいなんだよ。
   人の部屋じろじろみてさ。
   今から家宅捜索でもする気か?
   いやらしい」
伊吹 「いやらしいって!
   いや……ごめんなさい。
   そういうつもりじゃなくて、
   ニキさんって結構ズケズケ言う人だから、
   もっと変わったものとか置いてるかと思って」
向琉 「なんだよ、それ。
   僕は至って健全な男なの!
   何、カエルのホルマリン漬けとか、
   あんこうの魚拓でも貼ってると思ったの。
   何ならクローゼット開けてみる?
   キュンストレーキが住んでるかもしれないぞ」
伊吹 「キュン、ストレーキ?住んでる?」
向琉 「それとも鞭とか鎖でもあるかと期待してた?」
伊吹 「はい!?ち、ちがうわよ!
   何をおバカなこと言ってんの!」
冬季也「あはははっ(笑)なんだかふたり面白いな」
向琉 「えっ」
冬季也「気が合ってるのかな。
   漫才見てるみたいだよ」
伊吹 「えっ。冬季也さん、違いますよ!
   全然気なんか合ってません。
   性格も雲泥の差があります。
   私はこんなに粗野で生意気じゃないですし、
   もっと品がいいですから」
向琉 「はぁ!?何いってんの」
伊吹 「あっ。そうだわ。
   こんな話しはどうでもいいのよ。
   私はここに引っ張ってこられた理由を教えてほしいの。
   包み隠さずありのままね。
   土手で声かけてきたあの女性は何者なの?」
向琉 「ああ。あれはね」
冬季也「ニキ。いいよ、僕が話す」
向琉 「あ、はい」
冬季也「あのね。
   さっき居た女性は……僕の恋人なんだ」
伊吹 「えっ!?」


冬季也さんの口から「恋人」という言葉が出た瞬間、
私の頭の中が真っ白になった。
眼中にはなかった人物。
とんでもないライバルの出現に、
思わず両目から自然に大粒の涙が溢れる。
窓辺のソファーに座ってその姿を見ていたニキさんも、
私の意外な一面を見てさっきとは打って変わって、
私を無言で慰めるような優しい表情になる。
彼の部屋は突然どんよりとした空気に包まれて一変したのだ。

(続く)