「私が消える意味、わかってるでしょう? 瑞穂ちゃんはもう、私がいなくても大丈夫」
「全然大丈夫じゃない! 行かないでよお母さん!」
声がひび割れた。その腕をつかもうと何度手を伸ばしても、一向に触れられない。かすることすらできない。どうして?
「また、私をひとりにするの?」
今になって溢れてくる。ぼたぼたと、大粒の涙が芝生に落ちていく。お葬式では泣けなかったのだ。あまりに突然過ぎて。別れを言う時間すらなくて。あのとき麻痺していた感覚が、今になって二重に胸を切り裂く。
「いやだよ」
息ができなくて、私は喘いだ。
「こんな、表情のない灰色の世界に、私を置いてかないで……」
せっかく信じられたのに。お母さんのことを、ちゃんとまっすぐ思い出すことができたのに。
教室で、倉庫の屋根で、となりでいつも笑ってくれたから、私は自分を信じることができたのに。
「世界は鮮やかだよ。瑞穂ちゃんが興味を持てば、一気にひらける」
彼女の声が少しだけ太くなった。私の知っているお母さんの声に変わる。
「それに……ねえ、瑞穂ちゃんはひとりなの?」
目の前で優しく咲いた微笑みに、いろんな顔が頭をよぎった。
半分だけ血のつながった不器用な兄、優しいけれどマイペースな父親、やり方は間違っていても私を守ろうとしてくれた理香子さん。
それから、私に飛ぶ勇気をくれた人。
「ひとり、じゃ、ない」
自分を、世界を、私はちゃんと信じている。
「よかった」
ふわりと表情を崩して、彼女は透明な手を伸ばした。私の髪をさらりと揺らし、そのまま溶ける。
その瞬間、ぶわっと風が舞って、桜の葉をざわめかせた。足元で木漏れ日が踊り、夏の匂いが立ち込める。
そうして私の母――渡辺真理子は、この世界に、さよならを告げた。



