さよなら、世界



「はよ」

 リビングのドアが開き、寝癖のついた頭で川崎家の長男が現れた。理香子さんが包丁の手を止める。

「七都、お父さん起こしてきてよ。さっさと朝食食べてって。あの人ただでさえマイペースなんだもの。出かけられないじゃない」

 不機嫌そうな物言いだけど、声は弾んでいる。理香子さんはよっぽどみんなで出かけることが嬉しいらしい。七都が面倒そうに返事をして、二階に引き返す。

 休日に一緒に出かける高校生の子どもと両親。それが普通なのかどうかはわからないけど、私の目には仲良し親子を演じているお芝居みたいに映った。

 明るくて能天気な父親と、負の感情を押し込めてやさしく振舞う母親と、仕方なく親子ごっこに付き合っている息子。

 三人は本当の家族なのに、ドラマのなかの家族のように、つくりものに見える。見ている私自身の心が歪んでいるせいかもしれないけれど。
 それとも、私がここに入り込んだせいで、川崎家の三人に不自然な隙間ができてしまったのだろうか。

 フライパンに卵を流し入れていると、七都がリビングに戻ってきた。父親を呼びに行ったついでに着替えてきたらしく、Tシャツにハーフパンツという格好だ。

「あ、そうそうあんたたち」

 理香子さんの呼びかけに自分が含まれていると気づくまで、時間がかかった。あまり見ないようにしている彼女の右目をまともに見てしまい、私は急いで視線を逸らす。それを気にした様子もなく、理香子さんは壁にかかっているカレンダーを見た。

「私、今週の木曜にでかけるから、夕飯はふたりで食べてちょうだい」

 そう言ってから「あら」と気づいたように瞬きをする。

「木曜って花火の日なのね。終業式は金曜なんでしょう?」

 私が答えていいものか迷っていると、冷蔵庫から麦茶を取り出していた七都が「そうだよ」と口を開いた。

「どうせなら木曜に学校終わればいいのにな……」

「あら、七都は花火に行くの?」

「べつに、行かない。人ごみ面倒だし」

 ぶっきらぼうに言う息子を「つまんない男ねぇ」と笑いながら、理香子さんは手元の包丁に意識を戻す。

 瑞穂は行くの? とは、聞かれなかった。