さよなら、世界




 目を覚ますと見慣れた天井があった。窓から入り込んだ風がカーテンを膨らませる。開きっぱなしのドアが風にあおられキイキイ音を立てていた。差し込む朝日がまぶしい。

 私はもう一度目をつぶって、ゆっくりとまぶたを開いた。それから身を起こす。暖色のタオルケットが腰ミノのように巻き付いている。やっぱり自分の部屋だ。

 目を開いた瞬間から遠ざかりはじめた夢を、必死でかき集める。あのふたりが出てきたはずだったのに、もうぼんやりとしか思い出せない。

 学校にいるときしかみないと思っていたのに、あの白昼夢はふつうの夢として私の意識に現れた。

 どうして、と起き抜けのまとまらない頭で考えたけれど、答えなんて出るはずがない。どちらも夢にはかわりないから、意識の底でつながっていたのだろうか。そんな大まかな予想を立てていたら、目覚まし時計が目に入った。

「うわ、こんな時間」

 私はあわてて身支度を整え、一階に下りた。

「あら、おはよう」

 理香子さんが美しい顔ではきはきと言う。背中が粟立つのを感じながら、「おはようございます」と小声で返した。

 日曜日の今日は、父親と七都と四人で出かけることになっていた。発案者は理香子さんだ。

「お弁当を作ろうと思ってるの。手伝ってくれる?」

「はい……」

 声がかすれる。鼻歌をうたいながら広いキッチンを行き来する理香子さんは、和室に閉じこもりがちな彼女とは思えなかった。まるで父親が単身赴任先から帰ってくるときにだけ現れる別人格だ。

「じゃあ卵焼きを作ってもらおうかしら」

 冷蔵庫から取り出したばかりの卵のパックを渡されて私がうなずくと、彼女は優しげに表情を崩す。

「瑞穂の卵焼き、甘さが絶妙で私、大好きなのよ」

 理香子さんの赤い唇に、背筋が凍りついた。

 優しい表情も言葉も、すべてが罠のように思える。

 甘い蜜に誘われて虫が穴に落ちるのを待つ食虫植物みたいに、彼女はきっと待っているのだろう。私が何かしでかすことを。
 そして月曜日になって『父親』が去ったら、私はきっと理香子さんが吐き出す焼け付く酸に溶かされる。