「……ごめん。伝えたい言葉はあるみたいなんだけど、はっきりとは感じ取れなくて」

「そっか。いや、いいんだ」

 ガッカリしたような、ホッとしたような、どちらとも判断できかねる顔をして坂井君はふっと息を吐いた。

 ちょうどそのとき予鈴が鳴り響いて、坂井君は軽く首をひねって扉の方を向く。

「あ、もう五時間目が始まるな。お前、放課後は時間とれないんだよな?」

「うん」

「じゃあ明日登校したら、ここで落ち合おう。俺、今夜三津谷さんと連絡とってみるよ」

「わかった」

 部室のカーテンを閉めて部室の扉を開けると、教室へ戻ろうとする生徒達が、ゾロゾロとみんな同じ方向に向かって移動していた。

 あたしは鍵をしっかりとかけて、坂井君と一緒に流れに混じって廊下を歩きながら、周囲の人たちの顔をつくづくと眺める。

 この中の誰ひとり、あたしと坂井君がこんな複雑な事情を抱えているなんて、夢にも思っていないだろうな。

 素知らぬ顔をして、こうしてみんなに混じって廊下を歩いていることが、すごく不思議に感じた。

 前後に並んで歩く坂井君とあたしの間には、やっぱりひと言も会話はない。

 でも坂井君が、自分の後ろにいるあたしのことをちゃんと気にかけてくれていることが、なんとなく伝わってくる。

 距離が、ほんの少しだけさっきよりも近づいている。

 そのことを知っている人も、誰ひとりとしていないのだろう。

 ……あたし以外は。

 そんなことを考えながらあたしは、チラチラと坂井君の広い肩と背中を見上げつつ教室へと急いでいた。