数秒迷ってから選んだのは、この曲。
「ドビュッシーの月の光を弾きます。
楽譜はいらないです。暗譜していますので」
チラリと暖簾の方を見るも、洗い物をしている奏の足元しか見えなかった。
私とマスターの会話は聞こえていると思うけど、奏は今、なにを思うのか……。
奏の気持ちは分からないけれど、暖簾の向こうのカウンター席のふたり組のおじさんには、嬉しそうに声をかけられた。
「ドビュッシーか〜久々に聴くな。
お嬢ちゃん、楽しみにしてるよ!」
「色鮮やかに頼むね」
マスターと親しげに話していたし、このお客さんたちは音楽仲間なのだろうか?
プレッシャーを感じながらも、ピアノの椅子に浅く腰掛ける。
「弾きます……」
出だしはピアニッシモで、小さく柔らかく。
始めの方は音符が少なすぎて、つい速く弾きたくなるけど、ゆったりと拍子を守って。
でも、表情をつけるのは忘れずに……。
十五小節目からは二連符や六連符が多くなり、少し忙しくなる。
キラキラしたメロディに、不安の色が混ざり、楽しさと悲しみが混在するような、不思議で美しい旋律……。


