おかしな夢はあれから一度も見ていないけど、ずっと気にしている。
普通、夢というものはあやふやで朧げで、すぐに忘れるものなのに、あの夢だけは今も色濃く残っていて、忘れることはない。
不思議な世界に行ってきたような感覚が、今もハッキリと残されたままなのだ。
あの扉を開けたら、私達の出会いのシーンだったけど、あのままずっと見続けていたら、ひと夏の想い出が丸々入っていたのだろうか……。
そうすると、目を輝かせて私に夢を語る奏に、もう一度会えたかもしれない。
『大きくなったらプロのピアニストになるんだ。僕のピアノを聴いてもらうために、世界中を飛び回るんだよ』
『デビューコンサートには、綾を一番に招待するからね。特別席だよ。楽しみに待ってて』
目の前の白いワイシャツの背中に、幼い彼の笑顔を映し出すと、懐かしい台詞が可愛い声で再生された。
あ、そうか……あれが奏の、夢の原点だとしたら……。
心の中から、私との想い出をスッポリと切り離した理由が、分かった気がした。
なにかの理由で、ピアニストの夢を諦めなくてはならなかった奏。
辛い現実から逃れたくて、ピアノへの情熱と共に夢の原点までを、あの扉の中に閉じ込めたのではないだろうか……。


