ああ、奏の音が……。
楽しそうで、キラキラと輝いて、五歳の彼の演奏みたい。
技術的には今の方がずっと上手だけど、そういうのじゃなく、音に込める気持ちがあの頃と同じで、ピアノへの純粋な愛で満たされていた。
この光景の中の、もうひとりの私は体を揺らしてリズムを取り、とても楽しそうな顔をしている。
でも店の入口に佇む、第三者の私の目には……涙が溢れた。
これが奏の願いなんだ……。
コンクールで優勝して、デビューコンサートに私を招待すること。
アコールで音楽好きが集まって、ピアノを楽しんで弾くこと。
叶いそうで叶わない夢が切なすぎて、流れる涙を止められなかった。
そのとき突然、奏が「うわっ!」と叫んで手を止めた。
驚いて駆け寄り覗き込むと、奏の右手の薬指が、先から黒ずんでいく。
音楽がやみ、マスターも常連客も、もうひとりの私の姿も突如として消えていた。
店の風景も消えて、ピアノと奏だけが取り残されている。
右手の薬指から始まった黒い浸食は、他の指や手の平にも広がり、手首からさらに上へと蝕んでいく。


