奏 〜Fantasia for piano〜


「その扉のひとつを、私は覗いたの。もらった鍵を使って。中にはキラキラした想い出と夢が詰まっていた。

部屋の中にはもう一枚の扉があって、そっちに入っていたのは……絶望。モーツァルトのピアノソナタ第八番、イ短調が流れてた」


奏の目幅がスッと狭まる。

事件当時のコンクールで弾いた曲名に反応したのだろう。

でも顔をしかめている理由は、私に対する否定的な思いからであって、あの事件を思い返し、苦しんでいるからではない。

ピアノを諦めるに至った壮絶な苦しみや痛みは、あの扉の中にあり、今ここにいる奏の心からは切り離されているのだから。


それでいいのだろうか……。

苦しみや痛み、悲しみだって、大切な感情のひとつひとつだよ。

どんなに辛い想いでも、切り離すべきじゃないと思う。

それを心に留めたままで前に進むことが、乗り越えるということなんじゃないかな。

ひとりで抱えきれないなら、私にぶつけていいよ。そばで支えるから。

だから、どうか……。


「ねぇ奏、扉を開けて出てきてよ」