神道社長に渡された書類を握り締め、
重い足を引きずるようにスターメソッドの本社を後にした。
戸惑う自分に問いかけながら、両親の待つ吉祥寺へと向かう。
あの頃のように、恋も夢も希望も諦めて淡々と生きていく?
それとも与えられた仄かな光を頼りに、
将来のビジョンに微笑んでいる私が居ると信じて進んでみるの?
また北斗さんと笑顔で逢うことができると信じてみようか。
どうする?星光……


そうやって自問自答しながらも昔と違っていたのは、
北斗さんと離れた寂しさはあっても絶望感がないこと。
そのせいだからか、やっと両親に会える安心感からなのか、
車窓の流れる景色も、信号機の三色のビビットな光も、
街の煌びやかな電飾さえも、今の私にはなぜか心地いい。




車を走らせること30分。
私は両親の自宅駐車場に到着し、
キーを回し車のエンジンを切った。
静かになった車内で、
あらかじめ母から貰っていたメモを再確認していると、
玄関先に男性が立っているのに気がつく。
私はその人物を見てすぐに父だとわかった。
それは風馬からもらった写真の男性と同じだったから。
年は取っているけれど、
優しい眼差しはそのまま変わっていない……
私は震える手で車のドアを開け、外に出ると頭を下げた。
少しの戸惑いと照れくささの入り混じった私に、
父は笑顔で近づいてきて、
思いもしない言葉をかけてくれたのだ。



憲二郎「星光。おかえり」
星光 「(おかえりって、言ってくれるの?)
   ただいま……お父さん」



25年も経っていて幼い頃の面影なんてまったくない私に、
外出先からひょっこり帰ってきた娘の様に接してくれている。
たった7文字の短い言葉の中に、
父の愛情がいっぱい詰まっていて、
感極まった私の冷たい頬に温かい涙が一筋伝った。
涙する私の肩に触れて、父は宥めるように微笑んでいる。
そこへ私を心配した母もやってきて声をかけた。


美砂子「そんなところで突っ立ってたら、
   二人とも風邪ひくわよ。
   星光。中に入りなさい」
憲二郎「さぁ、入って。荷物を部屋に入れよう」
星光 「ありがとう。お父さん」

私の荷物を持って玄関を入っていく父の背中を見ながら、
快く受け入れてくれた両親に手を合わす。
そして私の命を助け東京へ導いてくれた北斗さんに、
福岡から私を追いかけて、
両親のことを教えてくれた風馬にも心から感謝した。
私は古賀家の敷居をゆっくりと跨いだのだ。



(吉祥寺、星光の両親宅)


お風呂から上がってきた私は、
母の入れてくれたホットコーヒーを飲み、
ふたりの温かいまなざしに見守られながら話した。
伝えたいことはたくさんある。
濱生でどんな生活をしていたかという悲しく冷たい想い出よりも、
北斗さんと触れ合った数か月の出来事を両親に聞いてほしくて。
私は神道社長から貰った書類をバッグから取り出して、
徐に切り出したのだ。
書類を受け取った母はお縁のソファーに座っている父に渡す。
母から事前に話を聞いていた父は、
すぐに私の置かれている立場も理解したようで、
書類に目を通しながら、穏やかに話し出した。


憲二郎「星光はどうしたいんだ?」
星光 「私は……」
美砂子「このお話を受けるなら、私の話は断っていいのよ」
星光 「私は、お母さんの話を進めようと思ってる」
美砂子「そうなの。この件、北斗さんと話はできたの?」
星光 「それは……」
美砂子「まだ話せないでいるのね。
   これは北斗さんの勤めている社長さんからの依頼なんでしょ?」
星光 「うん」
美砂子「だったら、こちらの話を受けるべきよ」
星光 「で、でも」
美砂子「このオファーを断ったら、
   貴女は北斗さんとこれからもっと会い辛くなるわ」
星光 「えっ」
美砂子「それでもいいの?」
星光 「(七星さんと会い辛くなる……)」
美砂子「あのね。
   一大企業の社長さんが、
   まだ日の浅い貴女にこんな良い話を持ってくると思う?
   社長さんは北斗さんを信頼しているから、
   キャリアのない貴女を会社まで訪ねて来てくださって、
   好条件で入社までさせてくれたんじゃないかしら」
星光 「うん……」
美砂子「それは、北斗さんがこれまで積み上げてきた功績もあるから。
   彼の将来を思って社長さんの配慮だと私は思うのよ」
星光 「……」
憲二郎「星光。
   私もお母さんの意見に賛成だな。
   このオファーを受けたほうがいい」
星光 「お父さん」
憲二郎「あのな。大きな仕事のできる男は、
   仕事や職場に家庭や私情を絡めない。
   なぜなら、自分の責務に集中できないからだ。
   彼は世間で名の知れたやり手の写真家だろ?」
星光 「そうね」
憲二郎「そのキャリアある彼が、
   何よりお前を助けることを優先したんだ。
   世間や業界のバッシングも覚悟で、
   お前を自分のテリトリーに受け入れてな。
   それなりの想いがないと、そんなリスクを普通は抱えられない」
星光 「だから私……
   彼の為に勝浦の仕事を降りようと思ったの。
   これ以上、彼の苦しむ姿を見たくなくて」
美砂子「それは逆。
   自分の身を呈して助けた女性が、
   目の前から居なくなってしまったのよ。
   貴女が突然去って、
   自分の何が悪かったんだろうかと心を痛めて、
   周りに気を遣いながらひとりで苦しんでいるはず。
   それを解っているから、
   社長さんはこの話を貴女に勧めたんじゃないの」
星光 「お母さん……」
憲二郎「星光、お前の人生だ。
   お前が本当に必要だと望むものへ進めばいいんだよ。
   私たちは、いつもお前の味方なんだから」
星光 「お父さん……」
美砂子「そう。これからはずっと一緒に居られるのよ。
   どちらにしても、まだ日にちはあるんだから、
   お正月はゆっくりうちで過ごして、
   じっくり考えて答えを出せばいいの」   
星光 「お母さん。お父さん。本当にありがとう」


私はふたりの娘として生まれたことを、
心の底から良かったと感じた。
ふと窓の外に視線を移すと、小雪が舞い踊っている。
しんしんと冷え込む師走の夜は、
幾つかの心残りと共に、
新たな年の到来を感じさせていたのだった。


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