まっすぐ延びる道の写真と、彼の無言のメッセージを何度も繰り返し見て、
再び北斗さんの存在が大きくなった私はフォトブックを抱えて号泣した。
そのまま真っ暗な部屋の畳の上に横たわる。
このまま地の底に埋もれてしまうかもしれないと感じるほど、
この身も心も重く沈んでいる。


星光「北斗さん。今すぐ貴方の声が聞きたいよ。
  貴方のこと何も知らないのに、何故こんなに気になるの?
  窮地を救ってくれた人だから?
  それとも、これって一目惚れかな。
  とっても複雑でよくわかんないけど、
  でも、今すぐ逢いに行きたい」


瞼の裏に焼きついた北斗さんの後ろ姿を想い浮かべながら、
またも別れの辛さを思い出し涙が溢れた。
このまま二度と逢えないかもしれないと思えば思うほど、
彼の存在は膨らんで私の心をどんどん占めていく。
「北斗さんに逢いたいよ。神様、お願い。声を聞かせて」と、
写真集に載っている彼の写真を見つめて祈るように叫んだ時だった。
バッグの中の携帯が鳴り出し、びくっとする。
私は慌てて起き上がり、携帯を取って着信番号を確認した。
それは未登録ナンバーだったけれど、
まさかと思い恐る恐る電話に出たのだ。


星光「……もしもし」
七星『もしもし?星光さん?』
星光「は、はい」
七星『僕、北斗です』
星光「嘘……(涙声)本当に、北斗さん?」
七星『ああ(笑)本当だよ。
  空港ではごめんね。
  飛行機に乗ってからもずっと、君のことが気になってね。
  フィアンセがあの権幕だったから家に連れ戻されて、
  もしかしたら電話も繋がらないかと思ったんだけど、
  声を聞いて安心したよ。
  大丈夫かい?』
星光「北斗さん……」
七星『ん!?泣いてるの?
  やはりあれから何かあった?』
星光「いいえ、いいえ。
  それは、大丈夫です。
  私は今、風馬のアパートに囲まってもらってます」
七星「それなら良かったが、どうして泣いているの?
  まだ揉めてるのかな」
星光「いいえ、そうじゃなくて、空港で別れてからずっと、
  北斗さんの声が聞きたいって思ってたんです。
  今も神様にお願いしていたら、北斗さんが電話くれたから、
  すごくびっくりで嬉しくて……」
七星「そうか」



啜り泣く私に掛ける優しい声。
心から望んでいた北斗さんの声が耳元に聞こえて、
私の涙腺は緩みっぱなしで泉のように涙が溢れる。
目には見えないけれど、私の心をしっかりと受け止めるように、
安心感を与えてくれる優しい北斗さんの姿が電話の向こうに居た。


七星『星光さん、ありがとう。
  そんなに思ってくれてたなんて嬉しいよ。
  あの時、力ずくで君を東京に連れて行くこともできたんだけど、
  君の安全やこれからを考えたら、本当にこうするしかないと思った。
  辛い思いをさせてしまって申し訳ない』
星光「いいえ、辛い思いなんて。
  北斗さんは東京に帰ってもすぐお仕事があるし、
  私のことで迷惑はかけられないって思ってました。
  だからこれでよかったんです」
七星『あのね、星光さん。
  僕は迷惑だなんてまったく思ってないよ。
  それよりも早く君の力になりたいって思ってるくらいだ』
星光「北斗さん……あの、私見ました。
  北斗さんのフォトブックの10ページのお写真とメッセージ」
七星『そう。どうだった?
  何か感じ取れたかい?』
星光「はい。“生日の足日(いくひのたるひ)”
  私はどんなことしても東京に行きます。
  必ず北斗さんに会いに行きますから」
七星『そうか。いつでも君がくるのを待ってるよ。
  その言葉にはこういう意味もあるんだ。
  “あれこれと迷うのではなく、巡り合わされた縁を受け止めて、
  その意味を掴むために信じて道を進むんだ。
  進んだその先に捜していた答えも、
  君にとって必要な世界もある”ってね』
星光「必要な世界……」
七星『そうだよ。
  進めば必要なものを手にする事ができるけど、同時に痛みも伴う。
  今まで自分を取り巻いていた世界と決別して、
  一から新たな道を切り開くんだからな。
  深刻な事態が浮上することもあるし、場合によっては邪魔も入る。
  当然今まで作りあげたものを手放さないといけないから迷いも出てくる。
  でもそれは、その縁がどれだけ必要か真価が問われている証だ。
  困難に感じれば感じるほど、
  大きなターニングポイントを迎えてるってことなんだよ」
星光「ターニングポイント」
七星「そう。
  当時ね、ロボットのように生きてた僕は、
  上司に言われるがままシャッターを押し、
  己の感情を抑えて、ただひたすら悲惨な現場の写真を撮りまくった。
  冷酷な人間に成り下がってそれを連載する。
  その流れを東が止めてくれて僕に本当の道を教えてくれたんだ」
星光「そうなんですね。
  東さんは傷ついていた北斗さんを優しく向かい入れてくれたんですね」
七星「いや(笑)
  東の言葉はそれは冷ややかなものだったよ。
  その後に差し伸べられた手は光り輝いてて温かだったが。
  でも、そのお蔭で目が覚めた。
  自分が甘んじてることにも気がついたんだ。
  地面を這いつくばってでも、自分の足で立ち上がりここまで来いってね」
星光「そうですか。
  北斗さんも乗り越えて今があるんですね」
七星「まぁ、そうだね。
  それから随分経って彼が僕に言ったのは、
  『自分の足で立ち上がってここまで来なかったら、
  本当に僕が大切な相手なのか、
  この仕事が必要なものなのか分からないだろ?
  手に入れた時の達成感も感動も喜びも味わえないだろ?』って。
  東の愛の鞭ってやつだね。
  だから僕も君に愛の鞭をふるったかな(笑)』
星光「愛の鞭……
  (愛。そんなこと言われたらむっちゃ意識しちゃうよ)
  言われる意味、私にもなんとなくわかります。
  北斗さんに甘えて優しい手に縋りついて飛行機に乗っていたら、
  今湧き上がってるこの感情はなかったかもしれないですね。
  それに、北斗さんの存在の大きさに気が付かなかったかも」
七星『そう?そう思ってくれたなら嬉しいよ。
  それと10ページに載せてる写真をもう一度ゆっくり感じてごらん。
  今よりももっと確信が持てると思うよ』
星光「確信…。北斗さん」


10ページのメッセージにはもっと深い意味があるのだと知らされて、
畳の上のフォトブックを手にする。
私の悲しみや不安は、北斗さんの電話で一気に解消された。
彼の一言一言が緩和剤のように、震える細胞に染み渡り浸透していく。
そして彼の声は、心の傷を優しく撫でて癒してくれたのだった。



私がどっぷり安心に浸っている頃、風馬は実家兼鮮魚店の路地に居て、
私の待つアパートへ戻ろうと荷物を抱えて歩き出す。
早くも、店は継がずに家を出ることを両親に話したのだ。
もちろん快く承諾してくれるわけもなく、
父親と大喧嘩になり「出ていくなら二度と帰ってくるな」と言われて、
勘当を覚悟で出てきたのだ。
その一部始終を店の片隅で聞いていた寿代だったけど、
駐車場に向かう風馬を泣きながら追いかけてきた。



寿代「風ちゃん、待ってよ!」
風馬「ついてくるな!」
寿代「なんでいきなりお店辞めちゃうの!?」
風馬「ひさっちには関係ない。
  うちみたいな小さな店で働いてないで、もっといい職場見つけろ。
  お前はまだ若いんだしさ、いい働き口ならいっぱいあるやろ」
寿代「私は、風ちゃんが居たから働いてきたのよ。
  おじちゃんもおばちゃんも、
  私を風ちゃんのお嫁さんにって言ってくれてるし」
風馬「そんなこと忘れてくれ」
寿代「ねぇ、風ちゃんったら!」
風馬「放せって!もう家に帰れ」
寿代「嫌!だって放したらキラに逢いに行くんでしょ!?
  私、風ちゃんが大好きなんだもん!」
風馬「ごめん。
  俺、ひさっちを女として見たことないから」
寿代「どうしてそんなに冷たいの?」
風馬「幾ら親父と御袋がお嫁さんにって言っても、
  俺にとってひさっちは、ただの幼馴染でしかない」
寿代「酷い……それは、キラが居るから!?」
風馬「ああ。そうたい」
寿代「そんなにキラがいいの!?」
風馬「ああ。あいつだからいいんだ。
  星光でないと駄目なんだ、俺は。
  悪いけど俺のことは諦めて、別の男と楽しい恋愛しろ」
寿代「諦めろなんて、あっさり言うんやね。
  あの子が大神楽の娘じゃなくても、それでも風馬はキラがいいの」
風馬「は?いきなり何を突拍子のないこと言ってるんだ」
寿代「私、聞いたの。
  キラは濱生の家の子じゃないって。
  それに、加保留が濱生の実の子だってこともね」
風馬「はぁ!?お前、誰にそんなこと」
寿代「颯さんと加保留が話してるのたまたま聞いたんよ。
  多分、星光は知らないんじゃない?この事実。
  あっ、そうだ。さっき颯さんから電話あって、
  風ちゃんとキラの居場所を聞かれたのよね。
  彼、本気であの子が好きなんだって思った。
  すごく心配してたから、
  多分風ちゃんのアパートじゃないかって教えてあげたわ」
風馬「お前……。
  なんで俺の隠れ家を知っとるとや!」
寿代「そんなの(笑)
  好きな人のことなんだから何でも知っとるよ」
風馬「まずい!早く帰らんと星光が」
寿代「風ちゃん、行かないで!」
風馬「ひさっち、放せって!
  やっぱ俺の相手はお前じゃなか。
  たとえ星光が大旅館の娘じゃなくても、
  どんなに周りが止めても、俺の気持ちは変わらんよ」
寿代「風ちゃん!」


風馬は寿代の腕を振り払い、駐車場に止めてあった私の車に乗ると、
エンジンをかけ、急発進で走り出した。
取り残された寿代は、微笑みながら走り去る車を見ていたのだった。


寿代「風ちゃん。バカよね。
  今から行ったってもう手遅れだと思うけどね(笑)」



(風馬のアパート)


風馬が血相を変えてアパートへ向かっている時、
私は細やかな幸せに浸り、傷ついた心は癒されていた。
左耳に聞こえる穏やかな北斗さんのボイス。
このまま時間が止まってくれたらずっと話して居られるのにと、
乙女チックな願望を膨らませる。


星光「北斗さん、お忙しい時間に電話ありがとうございます。
  すごく嬉しかったです」
七星『僕も、また声を聞いて安心したよ』
星光「この2、3日うちには東京へ行けるようにします。
  詳しく決まったら必ずお電話しますから」
七星『わかった。連絡待ってるよ。
  じゃあ、くれぐれも気をつけてね』
星光「はい。では……」

電話を切った私は小さな溜息の後、熱くなった携帯を胸に押し当てて、
これが夢でなかったことを実感し安堵した。
掌に収まるほどの小さな機械が唯一、彼との縁を繋いでくれる。
この会話で北斗さんの存在は空港に居た時よりも、
もっと現実的で揺るぎないものとなったのだ。
そのとき、ピンポーンとドアフォンの音がする。


星光「風馬かな……
  あれ?カギ持っていくからって言ったよね。
  でも、ここは誰も知らないって言ってたしな」


私は、ゆっくり玄関に向かい、
「風馬なの?」と声を掛けたけれど返事はない。
街頭の明りに照らされて、すりガラスの窓に映し出された黒い人影を、
じっと見つめて外の様子を伺っていた。
しかしさっきの電話で安心しきっていた私は、
かけていた玄関のカギを外して少しだけ開けたのだ。


(続く)


この物語はフィクションです。