シャワーを浴び着替えた根岸さんが、
庭のベンチに座って海を眺めながら待っている夏鈴さんの許へ歩いていく。
そして彼女の髪を撫でながら、寄り添うように腰かけた。
私にはその姿がとても頼もしく映り、
今までの彼女の辛さを思うとまたも泣けてくる。
神様はこの日の為に、彼女に4年の月日を与えたのかも。
そして、赤い糸が夏鈴さんと根岸さんの指に結ばれていたのだと考えると、
この出来事は宿命だったのだと思わずにはいられない。
(別荘の庭)
夏鈴「根岸洋行(ねぎしようこう)。
ひろ。名前、変えたんだね。
桑染洋史(くわぞめひろし)ではもう、仕事はしてないの?」
根岸「ああ、4年前から今の名前だ。
夏鈴と別れてから桑染の名は葬ったから」
夏鈴「えっ!
もしかして“スタジオハートtoハート”も辞めちゃったの?」
根岸「辞めた。いまは昴然社で勤めてる」
夏鈴「昴然社って、ここで撮影してるんだよね」
根岸「ああ。スターメソッドには出向で来てるんだ」
夏鈴「そう。でも、まだ星や鳥の写真は撮ってるんだよね?」
根岸「いや。もう撮れなくなった」
夏鈴「そんな……今は何を専門にしてるの?」
根岸「それは。聞かない方が夏鈴のためかもな」
夏鈴「えっ。ひろ……
会社も名前も撮る写真まで変わっちゃったんだね。
それもぜんぶ、私のせい?」
根岸「ふっ(笑)いや、俺のせいだ。
事故のせい……」
夏鈴「事故……あの事故がなかったら、
ひろはまだ桑染洋史としてカメラ構えてた?」
根岸「たぶんな。
それに、夏鈴にプロポーズしてたかもな」
夏鈴「えっ?そんな……」
根岸「なぁ。何故、夏鈴がこんなところに居るんだ?
ここでは関係者以外は二重許可がないと入れない」
夏鈴「あぁ。浮城さんが許可証をくれたの」
根岸「浮城?あいつと、付き合ってるのか」
夏鈴「ううん(笑)誘われたけど、付き合ってはいないわよ」
根岸「そ、そうか」
夏鈴「うん。私の親友のキラちゃん、あっ。
濱生星光さんね。
つい最近まで私と同じ会社に勤めてたの。
社員寮でも同じ部屋ですごく仲良くなって。
でもキラちゃんがスターメソッドの社長さんにヘッドハンティングされて、
勝浦の撮影から働きだしたんだよね。
ここのカメラマンの北斗七星さん、ひろもよく知ってるよね」
根岸「ああ」
夏鈴「彼女を通じて、北斗さんと浮城さんに知り合ったのよ。
キラちゃんは北斗さんのことがすごく好きで、
やっと念願叶って一緒に仕事できるようになったの。
なのに、彼の変な報道が出てしまって、
きっとへこんでるだろうって思ったから心配できたんだ」
根岸「……」
夏鈴「彼女、実家の福岡でいろんなことがあってね、
自殺しかけたところを偶然、仕事で居合わせた北斗さんに救われたの。
彼と出逢ったことでやっと希望を持って生きていくって東京に来たんだよ。
それで私とも会ってさ。
いつもふたりで笑って恋愛の話してね。
でも毎晩、布団の中では彼の写真集を抱えて泣いて悩んでたの。
だからすごく心配で、
また崖っぷちに追い込まれてないかって気になってるんだ」
根岸「そうか……」
夏鈴「ひろ。キラちゃんを守ってあげて」
根岸「えっ」
夏鈴「もう私がキラちゃんの傍に居てあげられないもの。
でも今は、私の代わりにひろがキラちゃんの傍に居てくれる。
私が知ってるひろなら、
キラちゃんと北斗さんの力になってくれるよね?」
根岸「そ、それは……」
夏鈴「お願い。私の大切な大親友を支えてあげて?
私も、ひろのことでずっと落ち込んでたけど、
彼女が居たからこうやって今でも笑って居られるの。
だから、私を救ってくれた彼女を助けてあげてほしい」
根岸「夏鈴……」
縋りつくような目で必死で根岸さんに詰め寄り、
じっと回答を待つ夏鈴さんを困ったように、
それでも優しい眼差しで見つめる根岸さん。
その必死さと愛おしさに負けたのか、
大きく溜息をついたあとゆっくり口を開く。
根岸「ふーっ。参ったな」
夏鈴「ひろ。ダメ?」
根岸「駄目じゃないが……
お前が、俺から逃げずにこれからは傍に居てくれるなら、
彼女を見守ることができるかもしれない」
夏鈴「えっ!ほんとに!?
でも、それって……復縁しようってこと?」
根岸「まぁ、そういうことだ。
夏鈴の気持ちが今でも変わってないなら。
まだ俺のことを想ってくれてるならな」
夏鈴「うん……変わってない。
私、ひろの傍に居るよ」
根岸「そうか(微笑)
ん……わかった。できる限りの協力はする」
夏鈴「やったっ!ひろー!ありがとう」
根岸「でも、あまり期待しないでくれよな。
北斗さんは仕事の仲間で、彼も星光さんも大人なんだ。
事情の知らない俺から、
自分たちのプライベートに首を突っ込まれるのは、
きっと嫌だろうから」
夏鈴「うん、わかった。
でもひろだわ。
やっぱりあの頃とちっとも変わってない」
根岸「夏鈴」
根岸さんは無邪気にはしゃぐ彼女を引き寄せてkissをした。
夏鈴さんと根岸さんの間に、
辛く哀しい沈黙の4年間がなかったように、
淡く優しい月光が静かにふたりを照らしている。
(別荘のキッチン)
私は鼻歌を歌いながら皆の夕食の準備をしていた。
窓越しに、寄り添いながら話す夏鈴さんと根岸さんの姿を見て、
まるで自分のことの様に、
とても幸せなほっとした気持ちでいたから。
白い湯気を浴びながら、
うふっと笑って大きなお鍋の味噌汁をかきまぜる。
そこへ無言のまま風馬がやってきて、
水道の蛇口を開くと包丁をとって、
ボールの中に入れていた魚をさばきだした。
星光「風馬」
風馬「魚は俺が捌く。全部刺身でいいか?」
星光「う、うん……ありがとう」
風馬「さっきから鼻歌歌ってへらへら笑ってる場合か。
今から12人分の食事作るんだろ」
星光「だって嬉しいんだもの。
夏鈴さんがすごく幸せそうだから私も嬉しくて」
風馬「そうだな。
でも、あいつはどうする気なんだろ」
星光「あいつ?」
風馬「浮城さん。
元々は彼に許可証を貰って会いに来たんだろ?」
星光「そうだけど。
彼女だって元彼の根岸さんがここに居るなんて思ってないし。
4年間もずっと彼を想って、夏鈴さんは彼氏を作らなかったんだよ。
すごく運命的でとても素敵な再会だと思わない?」
風馬「そうかな。
俺は残酷だと思う」
星光「えっ。どうしてそんなこと言うの?」
風馬「そりゃ、夏鈴さんが幸せになってくれるのは嬉しいことだけど、
その幸せの裏に、
不幸になる人間が居るってことも忘れないでほしいな」
星光「風馬」
風馬「誰かの犠牲の上に幸せがあるんだ。
俺は浮城さんの気持ち、すげーわかるからな」
星光「もしかして、私のこと言ってるの」
風馬「人のことより自分のこと心配しろ。
お前さ、北斗さんとどうなってるわけ?
あいつの報道見ても何も思わないのか。
鈍感にも程があるぞ」
星光「えっ。北斗さんの報道って何?」
風馬「お前、知らないのか……だったらいい」
星光「いいって何よ。知ってるなら教えて?」
風馬「知らないのは幸いかもな。
どうしても知りたかったら、北斗さんに聞け」
慌てて口を閉じた風馬の腕を掴んで問い質そうとした時だった。
流星さん達が居るリビングで何かが割れる音がする。
私と風馬はキッチンから出て様子を窺った。
そこにはビールを飲んで酔っぱらい、荒れ模様の浮城さんの姿が居る。
編集作業をしていた流星さんが、浮城さんの傍で介抱するように近寄り、
田所くんといちごさんが割れたビールグラスを片付けていた。
風馬はぞうきんをもってふたりを手伝う。
流星「浮城さん、飲み過ぎだって。
もう休まないと明日も潜るんだから」
浮城「ん?ふん!潜りなら根岸にやらせろっ!
あいつは潜るの得意だろうが!
今のあいつなら、文句も言わずに何でもするぞぉー!」
村田「浮城さん、二階にはまだ神道社長が居るんですから、
こんなところ見られたら大変です。
そろそろ飲むのやめて私とお話ししましょう。ねっ」
浮城「いちごちゃんはいつも優しいなぁー!
神道社長。社長がここに根岸を連れてきたんだろうが!
昴然社の損失分まで3分の1の時間でだってさ。
なんで俺たちが体張って稼がなきゃならない!
あの狸が作った借金を。
それにあの狸が送り込んできた土竜も……
あの野郎はカレンともできてるんだろぉ?
あいつは何者なんだ!
どうして俺の大切なものを全部、奪っていくんだっ!」
流星「浮城さん」
浮城「なぁ、流星。俺はそんなにダメ人間か?」
流星「ダメ人間なんて。そんなことない!
浮城さんはずっといい仕事してきたし、
辛い時はいつも俺たちをサポートしてくれたんだ」
浮城「ふ……ん。それが曲者なんだよな。
サポート役ってのがぁ……
今回も根岸とうさぎちゃんのサポート役だ。くそ野郎っ!」
風馬「流星さん」
流星「ん?何だ、狂犬」
風馬「浮城さんをここに居させないで、
部屋へ連れて行った方がいいんじゃないですか?
ここから外の二人が丸見えなんだ。
今の浮城さんには酷すぎると思います」
流星「気が利くな、狂犬。
そうだな……
分かった。俺が連れて行く。
田所、手を貸してくれ」
田所「はい。浮城さん(浮城の脇に手を回す)行きますよ」
浮城「田所はいちごちゃんがいいんだよなー」
酔いつぶれ項垂れる浮城さんの乱れた姿と、
うわ言のような心の叫びを目の当たりにして、
さっき風馬が私に言ったことの意味が分かったような気がした。
彼はカレンさんをずっと想っていた。
でも彼女が北斗さんを想っていたことを知って、
カレンさんを諦めて夏鈴さんに出会ったんだ。
これも浮城さんにとっての宿命なのか。
流星さんと田所くんに支えられるその顔は、
裏切られた悔しさで一杯に見えた。
浮城さんを部屋に連れていった後、私は甲斐甲斐しく動いた。
皆がリレーのように次々と食事を済ませる。
いちごさんが神道社長、東さん、北斗さんの食事を二階に持っていき、
田所くんと風馬がテーブルに食事を運び、
夏鈴さんが下げた食器を洗ってくれる。
みんなが手伝ってくれたお蔭で、
食事も片づけもいつもよりスムーズに済んだ。
私はエプロンを外し乱れた髪を束ねていたけれど、
急にある不安が頭を擡げる。
夏鈴さんと話してる間は至らないことを考えなくても済んだのに、
彼女が根岸さんの車で帰ってから、
私の中で急に言いようのない不安が膨れてきたのだ。
それは風馬が話しかけて止めた北斗さんの報道のことで、
ここのスタッフはもちろん、
夏鈴さんも内容を知っているのに何も話してくれなかった。
全ての仕事を終えた私は溜息をついて、
二階に上る階段をじっと見上げる。
あれから3時間も経つというのに、北斗さんは下りてこないし、
神道社長と東さんの部屋で何を話してるんだろう……
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