一言叫んだあとバッグを放りだし、
その場から急に逃げるように庭から丘の方へ走り出した夏鈴さん。
彼女を追いかけようとした浮城さんだったが、
その場に彼女の姿を見て走り出した人物がもう一人いたのだ。
それは夏鈴さんの存在に気がついた根岸さん。
彼の言動は狼狽する浮城さんの気力を一気に奪う。


根岸「夏鈴!?夏鈴、待てよ!」
七星「ん!?」
浮城「……どうして。根岸が夏鈴さんを知ってるんだ」
流星「浮城さん」
浮城「どうして……」

力なくぽつんと呟いた後、
浮城さんは本格的に口を噤んで茫然とふたりの背中を見ていた。




生い茂るすすきをかき分けて怯えながら逃げる夏鈴さん。
そのあとを必死で追いかける根岸さんは、
やっとのこと逃げる彼女の右手を掴んで強引に自分の胸に引き寄せた。
畏怖し抵抗する夏鈴さんを彼は放そうとせず、
泣きじゃくる彼女はそのまま、
根岸さんの腕の中へ閉じ込められてしまったのだ。


根岸「夏鈴、逃げるな!」
夏鈴「放して!
  もう逢うことはないって思ってたのに!」
根岸「夏鈴!とにかく俺のいうことを聞けよ!」
夏鈴「何故!?何故ひろがここに居るの!?」
根岸「夏鈴、聞けって!」
夏鈴「どうして……ここに」
根岸「俺はあれからずっと探してたんだぞ!
  職場にも行ったんだ!
  周りの人間にも聞きまくった!
  何故、家を変わった!?
  何故俺から逃げるように居なくなったんだ!」
夏鈴「私たちは終わったの!
  もう元には戻れないわ」
根岸「夏鈴!」
夏鈴「私はひろを裏切ったの!
  事故で死にかけてた貴方をほったらかして。
  私は平気な顔して笑って他の人と……
  もう4年よ。
  あれから4年も経つのよ!
  それにひろにはもう、彼女が居るんでしょ!?
  私なんかよりずっと素敵な女性(ひと)が」
根岸「俺は!今でもお前を愛してるんだ」
夏鈴「そんなはずない!
  そんな気休めを言うのはやめて」
根岸「夏鈴、お前を愛してる!
  ずっと探してた!
  これは気休めじゃない!
  俺は変わらずにずっとお前だけを!
  ずっと探してたんだ。夏鈴……」
夏鈴「やめてったら」
根岸「もう逃げるなよ。
  逃げないでくれ……」
夏鈴「ひろぉ……」



夏鈴の目を見つめ、強く抱きしめる根岸さん。
辺りの景色は少しずつ赤みを帯びてきて、
海風が吹き抜けざわざわと木々が揺れる。
潜水した後で休憩もせずに彼女を追って走った根岸さんは、
はぁはぁと苦しそうに深い呼吸をしている。
そんな彼の弾む胸の中で、身動き取れなくなった夏鈴さんは、
4年間封印していた感情を抑えきれなくなって、
とうとう根岸さんの胸に縋って号泣した。
夏鈴さんを追いかけてきた私は、
ふたりの会話と抱き合い泣く姿をじっと小道から見守る。
彼女が私に初めて見せた、もろく女性らしい姿を目の当たりにして、
去り際、彼女が発した『助けて』という言葉にまごついていた。
でも同時に、過去を嘆き涙を流して寄り添うふたりの光景に、
私はシンパシーも感じてもらい泣きしてしまったのだ。
そう……
5日前の月夜、感情を押し殺して、
北斗さんから抱きしめられたあの夜を想い出して。
逡巡しすすり泣く私の両肩に北斗さんの温かな手のひらが触れる。


星光「北斗さん」
七星「大丈夫か?」
星光「はい……」


北斗さんは根岸さんと夏鈴さんのことは勿論、
追いかけて草むらに入っていった私のことも気掛かりでここに来た。
いつも皆に見せている冷血な根岸さんとは、
まったく別人と感じるくらい愛情溢れる姿。
無言で慰める北斗さんも、
今までに感じたことのない惻隠の情を抱いたようだった。
しかし私たちの背後にもう一人、
ふたりの姿を見ている人物が立っていた。
訳ありの二人を追いかけてきたのは私たちだけでなく、
やはり浮城さんで、彼は泣いていた夏鈴さんを心配してきたのだ。
現実の希望の無さに打ちのめされたように、
呆然と抱き合う二人を見ている。
北斗さんはぽんと私の肩を軽くたたきウインクすると、
絶望感いっぱいの浮城さんの肩にがつっと腕を回して、
亡霊のごとく完全に元気を無くした彼を連れて別荘に戻っていった。
私はもう一度後ろを振り返り、
夏鈴さんの姿を確認した後でその場を立ち去ったのだ。
西に傾いた陽の光は切り立った勝浦の岸壁一面を赤く塗り変えて、
抱き合う二人も木漏れ日の中、
光のシャワーを浴びて赤く照らされたのだった。

(続く)


この物語はフィクションです。