彼らが懸念していたことも知らず、私はと言うと、
鳴らない携帯を持ったまま、成す術もなくオロオロしている。
幸福荘と福禄荘を行ったり来たりし、
昨日話した小さな公園を回ってみたり、とにかくじっとしていられない。
まるで動物園の熊のようだ。
心配し過ぎで疲れ果て、動く気力すらなくして自分の部屋に再び戻る。
それから数十分して、夏鈴さんが残業を終えて帰ってきた。
ドアを開けるなり彼女は驚きの声をあげる。


(“幸福荘”二階、星光と夏鈴の部屋)



夏鈴「うわっ!びっくりしたぁー!
  キラちゃん、どうしたの!?
  部屋の灯りもつけないで」
星光「……」
夏鈴「あれ。まだ着替えてないってことはお風呂入ってないの?
  ご飯は済んだ?」
星光「夏鈴さん……」
夏鈴「ん、どうした?」
星光「風馬が居なくなった……
  福禄荘に行ったけど、風馬の居た部屋表札がなかったの」
夏鈴「えっ!?」
星光「電話したけど出ないし、何処捜してもいないの。
  それに北斗さんからも連絡がないんだ。
  店長に辞表出しても突っ返されたし、
  私、どうしたらいいんだろう……」


回りが見えなくなるくらい動揺し、
疲弊しきっている私を見て、
夏鈴さんは溜息交じりに切り出す。


夏鈴「ふーっ。また泣いちゃって。
  キラちゃん、誰かを好きになるとさ、
  時間の感覚が変わるのって知ってた?」
星光「えっ……」
夏鈴「好きな人からの連絡を待つ時は、
  『この秒針壊れてるの!?』って歯がゆくなるくらい長く感じる。
  一緒に居る時は『もうこんな時間!?まだ一緒にいたいのに!』って、
  悲しくなるくらい短く感じる。
  私も、洋(ひろ)と付き合ってるときはそうだったわ」
星光「夏鈴さん」
夏鈴「普通の人が感じる1分が1時間に、1時間が1日に感じてさ。
  メールや留守電なんか入れた際には、
  もう待ってる間携帯ばっか見て、この携帯壊れてるかも!って、
  センター問い合わせなんて何回やったか(笑)
  待ちに待ってやっと連絡が入ったら、
  それまでの寂しさから素直になれなくて、結局彼を責めちゃってさ。
  心の中では嬉しくてたまらないくせにね」
星光「夏鈴さんの言ってること、正に私の心のまんま」
夏鈴「そう(微笑)だから大丈夫よ。
  きっと連絡くるから、待たないで待ちましょう(笑)」
星光「うん……」


心境を的確に理解し支えてくれる夏鈴さんの存在に、
私は嬉し涙が零れそうになる。
夏鈴さんからの恋愛アドバイスは曇っていた私の心を払いのけ、
さながら温かな太陽のように感じるのだった。
暫くすると、私の携帯の着信音が部屋に流れる。



夏鈴「ほらっ!かかってきた」
星光「夏鈴さん、すごい」
夏鈴「えへへ、まあね。
  それより電話、誰から!?」
星光「北斗さんから。本当に掛かってきた」
夏鈴「そっか!
  キラちゃん、北斗さんを絶対責めちゃだめよ。
  労いの言葉で優しくね」
星光「うん……もしもし、北斗さん!?」
七星『もしもし、星光ちゃん。
  連絡遅くなってごめん』
星光「全然、いいんです。
  こうやって連絡くれて嬉しいです。
  北斗さん、お仕事で忙しいんだろうなって思ってました」
夏鈴「(うんうん。いいよー。その調子その調子)」
七星『そうなんだ。ちょっと緊急事態でね。
  今時間いいかな?』
星光「はい、大丈夫です」
七星『来週月曜日の面談の件なんだけど、辞表はもう提出したの?』
星光「はい。それが提出はしたんだけど店長から返されてしまって、
  そのことを北斗さんに相談したかったんです」
七星『そうか……それでよかったかもしれないな。
  星光ちゃんの為にはその方がいい』
星光「えっ(驚)それって、どういう意味、ですか。
  私が店を辞めないほうがいいってどういう……」
夏鈴「えっ。北斗さん、何言ってるの」
七星『来週月曜日の神道社長との面談、駄目になったんだ。
  辞表が受理されてないなら、
  僕の斡旋した仕事の件、星光ちゃんから辞退してくれないか』
星光「えっ!?私から辞退するんですか……」



北斗さんから放たれた意外な言葉に、思わずソファーから立ち上がり、
泣き笑いに似た表情で、溢れる思いを意識の底に強引に押し込めた。
しかしキャパを超えた私の心と身体は小刻みに震えだす。
そして、とうとうショックと悲しみを支えきれなくなった全身は、
まるで糸の切れた操り人形のように、一気に力が抜けてその場に座り込んだ。
魂が抜けたかのごとく、正気を無くした私の手から離れ床に落ちた携帯からは、
繰り返し私の名を呼ぶ北斗さんの声が、微かに聞こえていたのだった。

(続く)


この物語はフィクションです。