すすり泣くカレンさんの声が静かな廊下に響いている。
しかし、その悲痛な声に交じって、
通常なら考えられない不気味なカメラの連写音が何処からか聞こえる。
彼女を気に掛けながらもその音は北斗さんの耳にしっかりと届いていた。
そこへ北斗さんの名を呼びながら浮城さんがやってきた。


七星「(ん。今の音は……)」
浮城「カズー!」


浮城さんは、萎れた花のように項垂れて泣いているカレンさんと、
彼女の肩を抱きしめている北斗さんを見て驚き立ち止まる。
目の前で何が起きているか、様子を窺い必死で探ろうとしている。
カレンさんは下を向いたまま涙を拭い、
廊下に落ちたバッグを拾うとゆっくり立ち上がった。
そして北斗さんも、直様カレンさんから離れて困惑した表情で話しかける。


七星 「陽立、どうした」
浮城 「あぁ。神道社長が至急スタジオに戻ってこいってさ」
七星 「そうか……
   カレン、仕事の詳細は明日連絡するから、
   気持ちが落ち着くまで少し休め。
   陽立。申し訳ないが、カレンを家まで送ってくれないか」
浮城 「あ、ああ。いいけど」
カレン「いえ、私は大丈夫。
   ひとりで帰れるわ」
七星 「でも、そんな状態で運転できないだろ」
浮城 「そうだよ。カレン、俺の車で送るからさ」
カレン「浮城ちゃん、大丈夫だから。
   それにカズ。
   貴方に心配してもらわなくても結構よ。
   私は何があっても仕事はする。
   たとえ、親と死に別れになってもね」
七星 「カレン」
カレン「私はプロよ。
   何年も想い続けた男にフラれたくらいで、
   仕事をエスケープしたりしないわ。
   カズ、あんまり私をみくびらないで!」



振り払うように怒鳴るカレンさんは二人をキッと睨み、
その瞳はまるで凝視する黒猫のように、
悲しみと愛憎の念が入り混じりマーブルのように渦巻いている。
北斗さんも浮城さんも、そんな彼女にかける言葉が浮かばないのか、
無言のままその場に立ち尽くす。
カレンさんは数秒、北斗さんをじっと見ていた。
けれど、彼の心に不安と空虚と何とも言えない動揺を植え付けると、
それ以上何も語ることなく、駐車場の出口に向かって歩いていった。 
二人はカレンさんの後姿が見えなくなるまで見送る。


浮城「カズ、大丈夫か?何があった」 
七星「僕は大丈夫。
  何でもないから心配するな」
浮城「ならいいけど。
  神道社長、緊急事態って言ってたぞ。
  早く行こう」
七星「そうだな……陽立」
浮城「何だ?」
七星「お前、今カメラ持ってないよな」
浮城「は?いきなり何言ってるの。
  持ってるわけないだろ。
  カメラはスタジオだよ」
七星「だよな」
浮城「ああ。何をボケたこと言ってるんだ」
七星「そうだよな。
  (じゃあ、あの連写音は何だったんだ……)」

暗闇に消えたシャッター音に訝しがりながら、
北斗さんはひんやりとした駐車場を後にする。
その後ろ姿を二階の廊下からカメラを抱えたまま、
意味深な笑みで見つめる男性が居たのだった。



しーんと静まり返ったスターメソッドの立体駐車場に、
カツカツカツとカレンさんのハイヒールの音が響く。
バッグから車のキーを取り出し、開閉ボタンを押したとき、
どこからともなく彼女を引き留める低い声がした。
カレンさんはドキッとしたと同時に動きを止めて、
その怪しい声の主を捜す。


男の声「摩護月カレンさん」
カレン「えっ」


計略を含んでいそうなその低い声は、
カレンさんの真っ赤なポルシェの横に止まってる、
黒い4WDの向こうからする。


カレン「そこにいるのは誰!?」
男の声「久しぶりですね。
   まさか俺のこと忘れてないですよね」
カレン「貴方……何故ここにいるの!」


問いかけに答えるそのグレーの声が、
薄暗い蛍光燈の下に姿を表す。
カレンさんはその謎の男を見るなり、
驚きを隠せず声をあげて息を呑んだ。




私と夏鈴さんは、お互いの恋の想いを打ち明けて蟠りが消えたからか、
心がすっきりした途端、二人のお腹が鳴りだし合唱した。
互いの顔を見合わせ大笑いした後、夕食をとる為に一階へ向かう。
階段を下りて食堂に入ると、
そこにはまだ食事を済ませた風馬が居たのだ。
彼はどうも告白の結果が気になるのか、
私と夏鈴さんを待っていたらしく、
私たちの姿をみるなり落ち着きない。


(CCマート社員寮“幸福荘”一階食堂)


星光「風馬……」
風馬「星光」
夏鈴「(小声で)キラちゃん。
  風馬くんと例のこと話しておいで。
  こういうことは長引かせない方がいい」
星光「え、ええ」
夏鈴「じゃあ、風馬くん。
  私は奥で食べるからキラちゃんとゆっくり話をしてね」


私達に気を遣った夏鈴さんは、
にこっと微笑んで食堂の奥に行こうとしたが、
彼女の予想に反して、風馬は透かさず呼び止めた。


風馬「いえ、夏鈴さんも居てください」
夏鈴「えっ!(焦)
  いや、こういうことは二人で、ねー」
風馬「話しって、告った返事だろ?星光」
星光「う、うん……」
風馬「だったら、夏鈴さんにも聞いててほしいから」
夏鈴「は、はい」

風馬の座る席にふたりして近づき、
まるで迫力ある上司に説教を受ける部下のように体を小さくして腰かけた。

風馬「で?返事は?」
星光「う、うん……
  (こんなところで、しかもこの状況で言い辛いなぁ)」
風馬「星光。
  俺のことは考えずに、ズバッとストレートに言ってくれ。
  どんな答えでも受け止める」

風馬は視線を逸らさず、じっと私の目を見つめて、
私の口から出てくる言葉を待ち受け体制でいる。
私は目を瞑って深呼吸した後、
夕暮れのオレンジ色に照らされた北斗さんの顔を浮かべながら、
彼の言葉を思い出し重い口を開いた。


星光「風馬……ごめんなさい。
  私、やっぱり北斗さんのところに行くわ」
風馬「えっ。北斗はお前のこと裏切って他の女と!」
星光「違うの!全部私の勘違いで早とちりだったの。
  本当にごめん!」
風馬「でも。夏鈴さんの話も、あいつが星光を弄んでるって」
夏鈴「ごめんなさい!
  それも私の勘違いで早とちりだったの!」
風馬「なんだよ、二人とも頭下げて」
星光「夏鈴さんは悪くないの!
  私がはっきりしなかったから、
  こんな複雑なことになってしまったのよ」
風馬「だから!複雑になること自体が星光のためにならんだろ。
  本当に大切な女だと北斗が想ってるなら、
  こんなことにはならないはずだ」
星光「公園で風馬と別れた後、北斗さんがここに来たの。
  彼とゆっくり話ができて事実も聞けたわ。
  私、今度こそ彼のところに行く!」
風馬「なんで」
星光「彼の斡旋で来月には職場を変わるの。
  住まいも変わると思う。
  携帯だって変わるだろうし。
  だからもう、風馬と一緒には居られない……
  ごめんなさい」
夏鈴「ごめんなさい」


食堂のテーブルにおでこを擦り付けて頭をさげる私と夏鈴さんを、
あきれ果てじっと見ている風馬。
夕食時で社員が溢れる幸福荘の食堂のざわめきは、
風馬の怒鳴り声で、氷の世界に閉ざされたように静まり返った。


風馬「ふっ!あっさりごめんなさいって……二人して。
  さっきのあの涙はなんだったんだ!」
星光「風馬には寿代が居る。
  おじさんおばさんが福岡で待ってる!
  私には北斗さんが待ってるの。だから」
風馬「だからなんだ。
  俺はこの20年、お前だけを見てずっと待ってたんだぞ」
星光「寿代だって20年、風馬だけを見てずっと待ってるじゃない!」
風馬「今、ひさっちのこと言ってるんじゃねー!」
星光「私、北斗さんが好きなの!」
風馬「……」
星光「福岡空港で、そして病院のロビーで、
  彼が私の目の前から居なくなっただけで辛かった。
  このまま逢えなくなったら、
  自分がこの世から無くなっちゃうかもしれないって思うほど、
  北斗さんが好きでしかたないの。
  まるで自分の分身のように感じるくらい、
  北斗さんが好きなの……」
風馬「なんだそれ。
  お前、訳わからんよ。
  数時間前と言ってること違わねーか?
  あいつがやってきたから決めたって?
  じゃあ、来なかったらどうだったんだ。
  自分の分身のようにって?
  ふん。だったら始めからそう言えよ(笑)
  あっち行ったりこっち行ったり、
  迷子の子犬みたいにウロウロしやがって……」
星光「風馬、本当にごめんなさい」
風馬「ふっ。星光の本心は分かったよ。
  北斗のところでも、何処でも勝手に行きやがれ!」
夏鈴「風馬くん!」
星光「風馬……」  
  

風馬は今までに見せたことのない、
腹の底が煮え立つほどの怒りを浮かべ立ち上がった。
そして私の横っ面を殴るかのように怒鳴り、
思い切り椅子を蹴飛ばすと、足早に食堂から出ていってしまった。
なすすべもなく残された私は、再びざわつき始めた食堂で身動きできず、
とめどなく溢れる涙がぽたぽたとテーブルの上に落ちる。
夏鈴さんは私の横で、肩に手を当てて慰めるしかなく、
優しく包み込むように話しかけた。


星光「風馬。ごめん……ごめんなさい……」
夏鈴「キラちゃん。大丈夫?
  これでよかったんだよ。
  これで、風馬くんもやっと前に進めるの」
星光「夏鈴さん」
  

その慈愛の言葉が傷だらけの心に沁みて、尚も涙を誘う。
私は夏鈴さんの胸に顔をうずめて号泣したのだった。



勢いよく幸福荘を飛び出した風馬は、
幸福荘の玄関横にある小さな公園のベンチに座っていた。
すっかり暗くなった公園に唯一ある街頭の明りに、
夜光虫のごとく寄ってくる小さな虫の戯れを、
ぼーっと見つめてポツリと呟く。


風馬「ふっ(笑)
  これで、北斗さんのところに行きやすくなっただろ?
  はーっ(溜息)今度こそ、あの岩場には立つなよ。
  もう俺は居ないんだからな……
  もう俺の許には戻ってくるな、星光」




私と風馬の関係に亀裂が生じたと同時刻、
浮城さんとスタジオに戻った北斗さんはスタジオのドアを開ける。
そこには既に神道社長が居て、流星さんと話している。
その空気で、いつもと違った何かが起きていると北斗さんは瞬時に察した。


(北新宿、スターメソッド。三階撮影スタジオ)

神道「やっと戻ったか。カレンはどうした?」
七星「彼女は体調を崩したので帰らせました。
  申し送りは明日、僕から伝えますので」
神道「そうか。では早速本題にはいるが、
  七星。申し訳ないが恵比寿の仕事がキャンセルになった」
七星「えっ!?」


深刻な表情を浮かべる流星さんの顔を横目でちらっと見ながら、
北斗さんと浮城さんは神道社長の口から驚愕の事実を聞かされる。
闇に潜む夜光虫の羽音が切り裂いたシャッター音は、
神道社長から語られる話だけではなく、
私と北斗さんの関係をも大きく揺り動かすのだった。

(続く)


この物語はフィクションです。