夕暮れの秋空を見上げた北斗さんの赤く染まる哀愁漂う横顔を、
今にも涙が零れ落ちそうな潤んだ目で見る。
彼から語られたクリスマスの真実を知り、
今まで抱いていた涼子さんのイメージは一変した私。
先ほどの私と同じように、
苦しくなるくらい深く真剣に流星さんを愛していた涼子さんの気持ちが、
自分の気持ちとシンクロして、これまでの彼女の言動が理解できる。
そして、これから語られる北斗さんの話を聞き、
その気持ちは一層大きくなった。
それと同時に、私を支えてくれた風馬の笑顔が頭をチラつき、
胸の奥をチクリと刺していたのだ。
七星「誰かから聞きつけたカレンが、
プロジェクション・ルームの扉を開けて入ってきた。
続いてそのあと流星が。
僕と流星が殴り合いの喧嘩になって、
パーティーのフィナーレになった。
僕の上を跨ぐかたちで彼女は座って胸に縋ってたからな」
星光「あぁ……」
七星「みんな酒も入ってたし、何もなかったって説明しても通用しない。
翌日、流星は神道社長にアラスカ行きを申し出て、
まるで雲隠れでもするかのように居なくなった。
『生活費は送金する。涼子を頼む』って一言、
ポストイットの書置きと、
自分名義の300万入りの通帳を置いて居なくなったんだ。
無責任極まりないと思わないかい?」
星光「ポストイットに書置きって……」
七星「ふっ。酷いだろ?ポストイットなんてな。
さっき、僕が悲しそうな顔で涼子ちゃんを見つめる姿を見たら、
自分は逃げるしかないって星光ちゃんは言っていたけどさ。
5年も思いつめてた彼女の心の痛みが、
眠ってる姿から伝わって悲しかったんだ。
何もなかったようにひょっこり帰って来て想いを伝えられても、
彼女的には心から喜べるわけがない。
そんなことするなら何故、
居なくなる前に想いを聞いてくれなかったんだって、
弟を責めたくなってしかりだ」
星光「そうですね……
何も言わずに去られるのは辛いことですものね」
七星「うん。僕のことはいい、兄弟だから。
喧嘩しようが殴り合おうが。
でも、奥さんに何も告げず、5年も放ったらかしにして、
何もなかったように平気な顔をする弟の楽天的な考えや無責任さ。
あいつの残忍な言動が僕はどうしても許せないんだ。
だから、流星が本当に涼子ちゃんを大切にできると分かるまで、
彼女に面会させるのは同意できないんだよ。
また悩ませるだけだから」
北斗さんはぎゅっとベンチに座って悔しそうに項垂れる。
私は、バッグの中に入れてあった折りたたまれたメモを取り出し、
北斗さんの目の前に出してみせた。
星光「これ、なんだと思います?」
七星「ん?……それは何?」
星光「これは、流星さんが病院の待合室で私に渡してくれたメモです。
流星さんの携帯番号が書いてます。
兄貴に内緒で連絡しておいでって」
七星「えっ!?あいつ!君にもなにか」
星光「違うんです。
『兄貴のこと、心配しなくていいから。
何かあったら俺に連絡をしておいで。
兄貴には内緒で』って渡してくれたんです。
病院で、私が不安そうな顔で北斗さんと涼子さんを見ていたから、
私の気持ちを察して気を遣ってくれたんだって思いました」
七星「気遣う?」
星光「はい。『君は兄貴の彼女だろ?』
『兄貴のことびっくりしたろ?ごめんな』
『もう俺が居るから何も心配しなくていいから』
『何も心配しなくていいよ』って(笑)
動揺する私に優しく微笑んで穏やかに話しかけてくれて」
七星「あいつがそんなこと」
星光「私、流星さんってそんな悪い人じゃないって思うんです。
きっと流星さんは5年前も私と同じように、
北斗さんと涼子さんに気を遣ったのかなって……」
七星「何を根拠にそんなふうに(笑)
あいつは君が思ってるような奴じゃない。
僕たちに気を遣うなんて」
星光「私、何となく5年前の流星さんの気持ち分かるんですよ。
以前の私がそうだったから」
七星「……」
星光「大神楽では、女将になるのは私だと厳しく育てられました。
『ご先祖様や“大神楽”の看板に、
泥を塗る様なことだけは絶対に許さん』と、
いつも社長と女将の顔色を見ながら生活する毎日でした。
でも、お茶もお花もうまくできない私とは違って、
妹たちは、何でもさらりとこなす。
真弓は日本舞踊も習ってて名取の資格を貰って、
礼儀作法も茶道も華道も嗜んでる。
真純は、海外留学を通して国際ビジネスではいろんな知識を持ってる。
どう考えても、妹たちの方が断然女将としてふさわしいのに、
なのになぜ長女ってだけで私なのかって、劣等感の塊でした。
颯から想われてるって自信も持てず、真の自分を出すこともできなかった。
結果、追い詰められた私は、あの断崖絶壁に立つしか他なかったんです」
七星「星光ちゃん」
星光「だから本当は、
彼も涼子さんと同じで自信がなかったんではないでしょうか。
自分も奥さんに愛されてるのかって。
それに北斗さんに対しても、
お兄さんのほうが自分より立派だっていう劣等感があったのでは?
だから、自分が死んだらお兄さんに託すなんて、
涼子さんに言ったんじゃないでしょうか」
七星「劣等感、か……」
星光「あっ……
何も知らない私が、こんなこと偉そうに言ってごめんなさい」
七星「いや、悪いのは僕のほうだから。
せっかくのデートを台無しにした。すまない」
星光「いいえ。台無しなんて。
とっても言い辛いことを話してもらってよかったです」
七星「星光ちゃん、今日の約束を後日させてくれないかな」
星光「えっ。は、はい」
七星「本当は、今日これからどこかへ行けるといいんだけど、
涼子ちゃんからの頼まれ事があって病院にもどらないといけないんだ」
星光「そうなんですね」
七星「それに、今の星光ちゃんの話を聞いて、
僕自身ちゃんと流星に向き合わないといけないと感じた。
兄として二人に対して本当にすべきことが何なのか分かった気がするよ」
星光「そうですか。
私でも少しは北斗さんのお役に立てたのかな」
七星「ああ、少しなんてものじゃない。
ちなみに、ここに来たのは陽立に連絡をもらったんだ。
君が大変だってね」
星光「えっ(焦)」
七星「これからのこともあるし、
流星たちの件が落ち着いたら必ず埋め合わせをする。
来週星光ちゃんの休みに合わせて時間を作るからね」
星光「北斗さん……分かりました。
宜しくお願いします」
七星「うん。連絡するよ」
すっかり陽の落ちた公園で、私たちは手を取り合って約束を取り付ける。
幸福荘の玄関まで送ってくれた北斗さんは、爽やかな笑顔のまま手をふった。
ズボンのポケットから携帯を取り出し、誰かに電話しながら歩く彼の後姿を、
私は姿が見えなくなるまで手を振って見送っていたのだった。
七星「もしもし、涼子ちゃん。今から行くよ」
(大学病院本館4F、循環器病棟)
それから2時間半後のこと。
ガラガラガラッと静かに音を立てて開くドア。
涼子さんの病室に入っていく人影。
北斗さんを待っていた涼子さんは、嬉しそうに声を掛けた。
涼子「お義兄さん。無理言ってごめんなさいね。
どうしてもエンジェルマルシェの、
バジルベーコンのパン食べたかったの。
お義兄さん……でしょ?」
カーテンの向こうの人物は病室に入ってきても、
涼子さんの傍に近寄ることも何かを語ることもしない。
彼女はベッドからゆっくり下りて立ち上がると、
ベッド脇のカーテンを開けた。
入口に立っているのは、北斗さんではなく優しい顔をした流星さんだった。
手にエンジェルマルシェのバジルベーコンパンを持って。
涼子「流星!?」
流星「涼子、まだこのパン食べてたんだな。
俺の大好物のパンだ」
涼子「そ、それは偶然よ。
お義兄さんがエンジェルマルシェの近くに用事があるっていってたから、
ついでに頼んだだけよ。
お、お義兄さんは?」
流星「兄貴ならこないよ。
俺にさっき連絡くれたんだ」
涼子「そ、そう……」
流星「涼子のところに行ってくれって」
涼子「えっ!?
流星は……なぜ日本に帰ってきたの?
私に逢いに帰ってきたわけじゃないわよね」
流星「いや、涼子に逢いに」
涼子「で、でも、流星は私とお義兄さんのことで怒ってたじゃない。
だから何も言わずに、アラスカに行ったんでしょ?」
流星「そうだな。
確かに、俺は兄貴と涼子に嫉妬してた。
あの時ふたりのこと見て、大事な女を寝取られたって思ったからな」
涼子「じゃあ。私を責めるために帰ってきたの?
もしかして、離婚するために……」
動揺した表情で手を握り締め、
落ち着きなく立っている涼子さんにゆっくりと近づいた流星さんは、
正面から彼女を優しく抱きしめた。
そして、彼女の不安をかき消すようにぽつりと言葉を漏らす。
流星「いや。ずっと傍に居る為に帰ってきた」
涼子「……」
流星「俺のせいでお前を苦しめた。
俺のせいでお前を病気にしてしまった。
俺のせいでお前はずっと苦しかったんだな。
身体壊すくらいずっと待っててくれたんだよな。
涼子、ごめんな」
涼子「流星」
流星「兄貴とは何もなかった。
涼子はずっと俺のこと、愛してくれてたんだよな」
涼子「わ、私……」
流星「涼子、ありがとう。愛してるよ、涼子。
今までもこれからもずっと」
涼子「流星…(泣)私もずっと愛してる。
今までもこれからも」
涙を流しながらすがり着く涼子さんを、
しっかりと支えながら抱きしめた流星さんは、
彼女の両頬に優しく手をあてると、柔らかいピンクの唇にキスをした。
そう。病棟の廊下で、壁に寄り掛かったまま腕組みをし、
北斗さんと涼子さんの会話を病室の外で聞いていた人物。
それは流星さんだったのだ。
涼子さんの目から流れたのは、安心感を与える温もりと愛情触れた幸せの涙。
二人は5年ぶりに向かい合い、エンジェルマルシェのベーコンパンを頬張る。
静かな病室にはたくさんの笑顔と明るい声が溢れていた。
そしてその傍らにあるフォトスタンドの中の流星さんと涼子さんも、
幸せな笑みを浮かべながらふたりを見守っていたのだった。
(続く)
この物語はフィクションです。