(東京都豊島区南長崎、CCマート社員寮“幸福荘”)


夏鈴「私は反対よ。キラちゃんの為にはならない」
星光「えっ?」
夏鈴「北斗さんの言うことを信じて頼って、うちの店を簡単に辞めるの。
  そんでここも出ていくなんて言うわけでしょ!?
  私は絶対反対なんだから」
星光「夏鈴さん」


お祭りから帰ってきた私達を待ち構えていたのは、逃れられない現実だった。
店長の口から申し訳なさそうに切り出されたのは、
私の車のナンバーから私の居場所が濱生の家に知られたということ。
ご近所が他県ナンバーの私の車を、
盗難車と思い込み、通報したことから始まった。
そして、近いうちに偽りだらけの家族がここに訪ねて来るという。
きっと私を引っ張って連れて帰ろうとするに違いない。
颯も一緒に来るかもしれないし、
そうなったら力づくで連れていかれることは避けられない。
でもこのタイミングに、北斗さんと再会し仕事や住むところまで、
彼が用意してくれてるということは、きっと必然的だとも感じている。
福岡空港のロビーで味わった失望感は不思議と感じなかった。



夏鈴「私、浮城さんに聞いたのよ。彼の実態」
星光「実態って何のこと言ってるの?」
夏鈴「北斗さんには同居してる女性が居るらしいわ。
  それだけじゃなく、展示会場にいたあのケバい写真家の女も、
  どうも北斗さんと訳アリみたいだし」
星光「同居してる女性っていうのは、北斗さんの弟さんの奥さんのことよ。
  病弱で一か月に二度、彼が病院に連れて行ってるって話してくれたわ。
  北斗さんは独身だし、彼女も居ないって。
  だから私の仕事と住まいも用意して待ってたって言ってくれてね。
  北斗さんに誰か居たら、無責任にそんなこと言えないと思うから」
夏鈴「その話鵜呑みにしてるの。
  じゃあ。キラちゃんに聞くけど、
  北斗さんの弟さんは、奥さんと北斗さんの傍にいる?」
星光「えっ。そ、それは……
  まだ聞いてないけど、これから聞く機会もあるし」
夏鈴「ねぇ。北斗さんが弟さんから奥さんを奪ったってことは考えられない?
  なぜあの女が勝ち誇ったように私に彼の話をするの。
  それは北斗さんが、あのカレンって女とも付き合ってて、
  弟の奥さんにも優しくしてその気にさせてるからじゃない!?
  今度はキラちゃんにまで手を出そうとしてる!」
星光「彼は!自分の命を張って私を守ってくれた人よ。
  相棒とも呼べる何百万もするカメラを投げ捨てて、
  私を氷河の地獄から救ってくれた。
  全額弁償すると言った私から一円も取ろうとしなかった。
  彼はそんないい加減なことする人じゃない。
  お願いだからそんなこと言うの止めて。夏鈴さん」
夏鈴「いや、止めないわ。
  だって、大切に思ってる親友が自ら不幸の渦に飛び込もうとしてるのに、
  黙って見過ごすことなんてできないからっ!」
星光「夏鈴さん」
夏鈴「北斗さんが本当に潔白な人なら、私だって喜んで二人を祝福して、
  幸福荘を出ていくことも、店を辞めることだって賛成するわよ。
  でも、少しでも疑いを感じてる間は手放しで喜べない。
  キラちゃんはやっと自由になったのよ。
  拘束された冷たい世界からやっと飛び立つことができたのに!」
星光「その冷たい世界がもうすぐここにやってくるの……
  あの冷酷な家族がここにやってくるのよ!」
夏鈴「キラちゃん」
星光「ここにじっとしてたら、私はまたあの氷の要塞に連れ戻される。
  実の子じゃないって知った今、前以上に奴隷のようにこき使われて、
  光の見えない毎日を過ごすことになるのよ。
  それを救ってくれるのは、北斗さんしか居ないの」
夏鈴「キラちゃんには私が居るじゃない。
  店長も店のみんなも協力してくれる!
  ちょっとの間雲隠れしてればいい。
  協力してくれる友達もいるから」
星光「夏鈴さん。彼と約束したのよ。
  明日12時に電話するって……」

話してる間、夏鈴さんは私の手をぎゅっと握っていた。
そして私を引き留めるように力強くハグする。
その両腕は小刻みに震え、私を説得する声も微かに震えていた。
それは私と離れ離れになってしまうかもしれないという、
怖さと寂しさが入り乱れてたように思う。
確実に近づく残酷で冷酷な因縁の足音。
私の心は迫りくる恐怖と後光のように射す希望が交錯していたのだった。



(東京都豊島区南長崎、スーパーCCマート)


翌朝、開店と同時にそれは突然やってくる。
店でレジ打ちをしている私の傍にやってきたのは顔の強張った店長で、
店の奥にある事務所にくるように言われたのだ。
私はパートの三矢さんにレジを代わってもらい、
出入り口でお客様に一礼すると、ドアを押して事務所に向かった。


星光「失礼します。
  岡崎店長、用事ってなんです……か」

ドアをノックして入った私の視界に入ってきたのは店長ではなく、
旅館大神楽の女将であり育ての母である数子の姿と、
着物姿で湯呑みを上品に持ち、お茶を飲む加保留の姿だった。
数子は、事務所に入ってきた私にカッと睨みを利かせ、
今にも怒鳴り声をあげそうな形相を浮かべながら、
持ってきた紙袋からA3の茶封筒を取り出した。
それとは対照的に加保留はというと、
茶卓に湯呑を置き不気味な微笑みを浮かべながら私に話しかけてきた。


加保留「星光さん、お久しぶり。思ってたよりお元気そうね」
星光 「(なんで加保留が女将と一緒にいるの!?)
   あ、あの、店長。突然に母たちがすみません」
岡崎 「いいよ。事情はお母さんから聞いたから。
   かなり急ぎの用みたいだから仕事のことは心配しないで、
   ここでゆっくりお話しするといい」
星光 「(急ぎって何……)
   は、はい。どうもありがとうございます」
数子 「店長さん、お仕事中に本当にご無理を言ってすみません。
   こちらのお店にご迷惑はおかけしないように、すぐ済ませますので」
岡崎 「いえいえ。お二人とも遠方からお越しですし、
   こんな小汚いところで落ち着かないでしょうけど、どうぞごゆっくり。
   じゃあ、僕はこれで失礼致します。
   濱生さん、後は宜しく」
星光 「は、はい……(頭を下げる)」
   

店長は私の肩をポンポンと軽くたたき、
爽やかに事務所から立ち去っていった。
店内に戻った音を確認した途端、
母の口から堰を切ったように言葉が飛び出してくる。
この二つの口から吐き出される言葉を、まさにマシンガントークと言うのだ。


数子 「家督を継ぐ者としてこれまで散々目をかけてきたのに、
   本当にはしたないったらありゃしない。
   仮にも格式ある濱生家の人間だった貴女が、
   こんな汚い店でレジを打ってるなんて。
   お父様が見たら、ショックで寝込んでしまわれるわ。
   それに!これまで何不自由なく育ててもらって、
   いきなり家を飛び出すわ、
   颯さんという申し分のない婚約者がありながら、
   ほかの男と駆け落ちしてふしだらとしか言いようがないわ!」
星光「はい……」
数子「星光さん。貴女がしている行為はね、
   ならず者のしていることと変わりませんよ。
   万延元年から続いてきた大神楽の看板に泥を塗っただけでなく、
   これまで精一杯親族の為にと頑張ってこられたご先祖様や、
   お父様にも恥をかかせているのですよ!
   それをわかっててワザとこんなみっともない真似をしていらっしゃるの!?
   純粋な真弓や真純にだって、迷惑をかけてるんですよ!
   星光さん!黙って突っ立ってないで、何とかおっしゃいな!」
星光 「……」
加保留「まぁまぁ、お母様。
   ちょっと落ち着いてください。
   また血圧が上がりますよ。
   それにいきなりのことで、
   星光さんもうまい言い訳がでてこないでしょうし」
星光 「(お母様って、何言ってるの!?この子)」
数子 「ふーっ(頭を抱えて溜息をつく)」
加保留「大丈夫ですか?お母様。
   慣れない長旅で疲れていらっしゃるのね」
数子 「私は大丈夫ですよ。ただあまりに情けなくてね」
加保留「そうですよね。私だって星光さんの作業着姿を見て、
   情けないやら呆れるやらです。
   お母様、ここは私が話しますから。
   星光さん、私とお母様がここに来た理由はね、
   手っ取り早く言うと、貴女に濱生家の財産放棄と颯さんとの婚約解消、
   濱生の父との養子縁組の解消を承諾してもらうためよ」
星光 「えっ。連れ戻しにきたんじゃ……」
加保留「何馬鹿なこと言ってるの?
   貴女みたいな礼儀知らずの人を、
   格式ある濱生家に戻すわけないじゃない。
   父はとっても寛大だったわ。
   『もう放っておけ!』っていうだけで、
   父を裏切った貴女のことを許して、
   颯さんにも頭を下げたんだから」
星光 「(そんなこと絶対にない。
   あの頑固な父が自分より目下のものに頭を下げるわけがない)」
数子 「とにかく、ここにある書類にサインしてくれたらいいわ。
   それで貴女はうちとは家族でもないし、一切関係ない人間になるんです。
   もう二度とうちの敷居を跨ぐことも許されない者になるんですからね」
加保留「お母様、星光さんは元々血のつながりなんてないでしょ?
   それを濱生の父とお母様が寛大にも受け入れて養女にしたんですから」
数子 「そうね。貴女の本当の両親は子育てを放棄して、
   私達に貴女を押しつけて、
   自分たちは自由気ままに過ごしてきたんですからね」
星光 「えっ。
   (本当の両親って……)」
加保留「星光さん。
   はい、ここにサインをしてちょうだい」


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