『宝の山に入りながら空しく帰る』
正に私のこと。
あの時何故……
絶好のタイミングで飛び込んできた、ここぞというチャンスを与えられながら、
私は臆病風に吹かれてそれを掴めなかったのか。
勇気を出して震える手を思いっきり伸ばせば、
北斗さんから差し伸べられた優しい手に触れることができたのに。
私は、幸せを掴み損ねた愚か者。
きっとみんな、私のことをそう呼ぶだろうな……
たった少し躊躇ったばかりにチャンスを失う。
そしてチャンスを失うとすべての流れがガラリと変わる。
自分を取り巻く人々、自分の居場所、巡ってくる出来事も。
私に勇気があったら容易に変えることができたかもしれないのに、
ボヤいてみても悔やんでみても後の祭り。
でも……きっと神様は、こんな私の姿を哀れに感じられて、
新たなチャンスを与えてくださるのかもしれない。
他力本願の情けない心は、
そんな甘えた事を密かに思っていたりするのだ。
現在、2013年10月の東京。
私はCCマートの社員寮に居る。
(東京都豊島区南長崎、CCマート社員寮“幸福荘”)
夏鈴「キラちゃん、お疲れ!」
星光「仲嶋さん、お疲れ様です」
彼女は仲嶋夏鈴(なかしまかりん)さん。
私より二つ年上で、新たに勤め始めたスーパーで知り合った。
入社して最初に話しかけてくれた人で、私はすぐに仲良くなった。
社員寮でも彼女と同じ部屋に住むこととなり、
恋の話も仕事のことも気軽に話せる頼もしい女性だ。
夏鈴「どう?南長崎に移り住んでもうすぐ一か月だけど慣れた?
うちのスーパーで勤務した感想と幸福荘の居心地は?」
星光「はい、大分慣れました(笑)
作業手順を覚えるまで苦労しましたけど、
でも、皆さんが優しくご指導してくれたので助かってます。
それに、寮もとっても住みやすいしご飯も美味しいし」
夏鈴「あはははっ(笑)
そっか。それは良かったわ。
あのね、店長始めここにいる人たちはみんな、
よそで働いてた時に、いじめやパワパラを体験しててね、
私生活でもいろんな柵抱えてるから、
人の痛みのわかる人ばかりなんだ」
星光「そうなんですか……
もしかして、仲嶋さんもですか?」
夏鈴「うん。私もさ、以前は営業職に就いてたんだけど、
上司からは成績のことで朝から夕方まで叩かれ、
先輩たちからは何しても呑み込みが遅い!って責められて。
『頭がおかしいから覚えられないのよ。病院行ったら!?』とか、
『あんたは部長の好みで雇われただけだから』なんて言われてさ。
毎日飛びかう誹謗中傷に耐えられなくて、半年で会社辞めちゃったわ。
あのまま働いてたら本当におかしくなるっていうのよ(笑)」
星光「そんなこと言われたんですか。ひどい……」
夏鈴「でもね、今は良かったって思ってるわ。
だって、そのいじめがなかったらCCマートで勤めてないし、
こうやってキラちゃんとも出会えてなかったでしょ?」
星光「そうですよね。
私も、あのままいろんな事実を知らなかったら、
この街にはたどり着いてないです」
夏鈴「そうね。ねぇ、本当にもう大丈夫?
きちんと連絡とって、彼に事実を聞いてみたら?
もしかしたら間違いってこともあるかもよ」
星光「いえ。あれは……真実です。
きっと寄り添ってたから彼女か奥さんだと思うし。
あんな素敵な人なのに、パートナーが居ないわけがないし、
また連絡して聞いてもショック受けるだけですから」
夏鈴「そう?んー、私なら彼の口から真相を聞いてから判断するけどな」
彼への連絡。それは北斗さん。
私はあの日九州を出て、ただひたすら東京をめざして車を走らせた。
三日後、彼の教えてくれた住所に着いたのだけど、
携帯を取り出して北斗さんに連絡しようとした時、見てしまったのだ。
彼の首に凭れかかるロングヘアーで色白の女性を……
その女性はとても細くてか弱く、北斗さんも寄り掛かる彼女を、
優しく支える様にしてマンションへ入っていった。
私は声もかけられず電話もできず、そのまま当てなく車を走らせた。
そしてまたまた見つけた、南長崎という街にたどり着いたのだ。
『長崎』
九州にもある聞きなれた地名だったから、
親しみを感じて足を止めたのだと思う。
ううん。それだけじゃなくて、
偶然、視界に飛び込んできた“幸福荘”という名前に縋りたかったのかも。
そこに住めば、幸福が訪れる気がして。
北斗さんという救世主を失ったことで、行き先を見失った私は、
地名でも名前でも何でもいい、細い蜘蛛の糸のような助けを必要としていた。
そしてこの日から私は、
彼のフォトブックを毎晩抱きしめて眠るのが習慣になる。
その頃、北斗さんはというと……
スターメソッド本社に居た。
ドアを思い切り開けてオフィスに入るとカメラを持ったまま、
デスクで作業している東さんに歩み寄った。
その顔は不安と哀しみと苛立ちが入り混じったような形相だ。
(東京都新宿区スター・メソッド内、東のオフィス)
七星「光世!あの子から連絡なかったか!」
東 「おいおい、帰ってきて早々なんだ」
七星「どうなんだ、電話はなかったか?
ここに訪ねてこなかったか!」
東 「いや、今日は一日編集作業でここに居たが、
誰からも連絡はなかったし、訪ねてもこなかった」
七星「そうか……
あれから一か月も経つのに何故連絡してこない。
電話も繋がらないし、いったい何処にいるんだ」
東 「七星。そんなところでカメラ抱えないで、
荷物降ろして座わったらどうだ。
ほら、コーヒー。
これでも飲んで少し落ち着け」
七星「あ、ああ。すまん」
東さんは北斗さんにコーヒーを渡すと、
持っていたマグカップのコーヒーを飲み干す。
そして冷静な表情で出来上がっていた写真のファイルをデスクの上に置いた。
東 「それから、今回のお前の写真は使えないからな」
七星「えっ」
東 「こんな腑抜けた作品が使えるか。
お前プロだろ。
これを見てわからないか」
七星「……」
東 「お前はもっと冷静な男だって思ってたけど、
星光って子のことで頭いっぱいで、初歩的なことまで忘れたか」
七星「光世……」
東 「ふっ(笑)七星、水臭いぞ。
愚痴でも不安でもいいから、今心の中にあるものを、
僕にぶちまけてさっぱりしたらどうだ?
良いアイデアが浮かんでカタルシスを得られるかもしれんぞ」
七星「ふーっ。カタルシスか……
実は、東京に帰ってきてから一週間ほどして、
福岡支社の同僚に頼んで、彼女のことを調べてもらったんだ。
空港騒ぎの日に出掛けたまま、もう一か月帰ってないそうで、
旅館の人間も行先を知らないらしい。
唯一、彼女のことを知ってる人物にも聞いてもらったんだが、
彼も、彼女が車で出たのを最後で話してないそうだ」
東 「そうなのか」
七星「僕も毎日携帯に連絡してるが繋がらない。
僕にはもう探す手立てがない。
光世。どうすればいい。
初めて会った時、崖から飛び降りる寸前だったのを僕が止めたんだ。
こんなことになるなら、あの時無理やりにでも連れてくればよかった。
そうしたらこんな遣る瀬無い思いをせずにいられたのに、
ひとり思いつめて、もうこの世にいないなんてことは……」
東 「おい。そう悪い風に考えるな。
もしかしたら、お前に迷惑かけたくなくて、
住まいが落ち着いてから連絡しようと思ってるのかもしれないだろ」
七星「そうだといいんだが……」
東 「僕も知り合いに頼んで探してもらうようにするし、
生(せい)にも話して協力してもらうように頼んでみるよ。
あいつならいろんなところに顔が利くから、
有力な手掛かりが得られるかもしれないからな」
七星「すまない。光世、頼む」
東 「だけど!このことと仕事のことは別だ。
明日、もう一度撮り直してこい。
年に一度しかない行事だからな。
ミスは許されないぞ」
七星「そうだな。わかったよ」
東 「ああ」
東さんは携帯を手に取ると、早速北斗さんの不安を和らげるように、
親友でありスター・メソッドの社長でもある神道さんに連絡を取った。
北斗さんは東さんの声を聞きながら弱々しく微笑んで、
テーブルに置いた一眼レフカメラを手に取ると、
じっと見つめてレンズを擦る。
その姿は、空港で私を抱きしめてくれた時のように温かい眼差しで、
包み込むように優しいものだった。
(豊島区南長崎、CCマート社員寮“幸福荘”)
私はいつものようにベッドに寝転がり、
窓から漏れる月明りの中で、フォトブックを抱えていた。
何度も何度も繰り返し思い出す、北斗さんと彼女の仲睦まじい姿。
寝返りを打っては「あれは間違いだ」と打ち消そうとするけれど、
マイナスの感情は容赦なく私の心を占領してくる。
私はゆっくりフォトブックのあるページを開いて、
何度も何度も繰り返し諭すように読み直した。
彼のメッセージが唯一、勇気や安心を与えてくれるような気がして。
星光「北斗さん。貴方が言ってくれた言葉を信じたいのに、
本当は声が聞きたくて、その手に触れたいのに、
どうして今の私は勇気が出ないんだろう。
北斗さんに逢いたいよ……」
(君を訪ねて……P11)
『混沌とした情景だけに心囚われて 君は目をそむけ涙を流す
でもそれは本当なのだろうか?
君の目に飛び込んだ場面は 真実なのだろうか?
それを知るためには 声に出し目を見開き
勇気を出して両手で掴むしかないんだ
見たままが事実か まがいものなのか
言葉にして初めて 触れてみて初めて
君の全身にじーんと響いてくる
きっとはっきり伝わってくる
恐れずにその両目で しっかり見てごらん
後ずさりせずにしっかり掴んでごらん』
私が手にし目にしているのは、かつて自らの道に疑問を感じ、
自問自答しながら新たな人生を模索していた北斗さんの心の声。
その叫びは不甲斐ない心にじんわりと浸透する。
しかし浸れば浸るほど、彼の許へ飛んで行きたくなる私が居た。
私は今夜もまた、逃亡しそうになる心を必死で抑え、
大粒の涙で枕を濡らしながら眠りについたのだ。
(続く)
この物語はフィクションです。