非行五箇条の一件は、容保【かたもり】公の取りなしによって、事なきを得た。


とはいえ、近藤と永倉や原田との関係があっさり修復されたわけではない。


腰巾着の武田の態度も相変わらずで、土方が冷たい睨【にら】みを利かせている。



再度の衝突が起こらなかったのは、近藤が新たな人員を募集するため江戸に一時帰参し、永倉たちと別行動となったことが大きかった。


新撰組は京都での影響力を強め、給金も多く賜【たまわ】り、担うべき任務も増えた一方で、人手が全く足りていなかった。


相次ぐ脱走や粛清で存在が消えた者もいれば、病気や怪我によって戦えなくなった者、命を落とした者もいる。