容保公は、実は一度、京都守護職から外れたことがある。
半年ほど前のことだ。
容保公の転任に幕府のどういう思惑があったのか、斎藤はよく知らないが、新撰組にとってそれは衝撃の出来事だった。
新撰組は、容保公以外の者の下では働けぬとして訴えを上げた。
容保公は壬生浪士組の頃からの直属の上司であり、会津藩の由緒ある隊名から取って「新撰組」を授けてくれた名付け親であり、
賤【いや】しい浪士集団に過ぎぬと見下される新撰組を懐深く預かってくれる保護者でもある。
新撰組や会津藩士に手落ちがあろうと、野犬や田舎者と罵【ののし】られようと、容保公は、全て赦【ゆる】して引き受けた。
藩主たる自分があらゆる責任を負うから、皆はただ一途【いちず】に誠忠に励んでほしい。
そんな言葉を、荒っぽい新撰組は幾度も賜【たまわ】った。



