新撰組の拡大に直接の影響を与えたのは、約半月の七月十九日、禁門の変と名付けられた一大事である。
その日、新撰組は会津藩及び桑名藩と共に、天皇御所を守るべく出陣した。
池田屋突入とその後に続く残党狩りによって追い詰められた長州藩士らが、
会津藩主松平容保など公武合体を目指す幕府勢力の排除を掲げて、京都市中は御所のそば近くで挙兵したのである。
会津藩とその下に就く新撰組、会津藩と行動を共にする桑名藩は、御所を背にして長州藩士らを迎え打った。
銃や大砲といった火器が用いられ、規模としては、軍事行動と呼んで差し支えなかった。



