芹沢は、剛毅で頼もしい豪傑と評される一方、暴力的で、言い出したら聞かないところもあった。
他人の下には就かぬ性質であるから、近藤こそが筆頭たるべしと主張する試衛館の面々と折り合わぬのも道理だ。
土方が指揮を執って芹沢を暗殺したのは、会津藩主松平容保から新撰組の名を頂戴した約一箇月後、文久三年(一八六三年)九月のことだった。
それから約一年の時が流れて、元治元年(一八六四年)八月である。
新たな火種が到来したかもしれないと、斎藤は感じている。
新撰組は急速に大きくなりつつある。
その拡大の速度に、試衛館の面々の頭と心が追い付いていない。



