誠狼異聞―斎藤一、闇夜に駆けよ―



浪士組の一部として京都に到着した試衛館の面々は、再会した斎藤を仲間に加え、


発起人である清河八郎と袂【たもと】を分かって、壬生浪士組を結成した。


会津藩預かりの下で京都市中の治安維持活動を開始し、


八月十八日の政変における功績を評価され、会津藩主の松平容保【まつだいら・かたもり】公によって新撰組の名を授かった。



試衛館時代には全員一丸の一枚岩だった面々は、浪士組として他派の人間と合流して以降、仲間内の争いというものを初めて経験することとなった。


その最大のものは、壬生浪士組で近藤と同格以上の地位に就いた芹沢鴨一派との対立である。