斎藤は土方の号令を受けて池田屋に押し込み、抵抗を続ける者を斬り、あるいは捕縛した。
土方の采配は完璧だった。
近藤たちを救援すると同時に、池田屋を完全に封鎖して敵の逃亡を阻止し、会津藩や桑名藩による介入をも阻止した。
つまり、池田屋における尊攘派志士の討伐という手柄を、新撰組が独占することに成功したのである。
戦闘が終息した後、斎藤は、明かりが消されて黒々とした館内を、抜身の刀を提げたまま捜索した。
修羅場となった中庭と裏口付近は血だまりが広がり、転がった死体の中には四肢の繋がらぬもの、はらわたを撒き散らしたものもあった。
最初の戦場は二階だったという。
二階の宴席で尊攘派が会合を開いていたところに、近藤たちが御用改めと号して突入したのだ。



