幼い頃から愛想がなく、滅多に口を開かず、笑いも泣きもしなかった斎藤は、近所の子供らと遊ぶよりも剣術の稽古をする方が好きだった。


剣術といっても、きちんとした師に就いて教わったわけではない。


刀よりも農具の似合う父が、かつて懇意の会津藩士に習ったという無外流を、農作業の合間にちらちらと教えてくれた程度である。


一応の基礎を作ってはもらったが、そこから先は自分独自の型を編み出してしまったようなものだ。


おかげで、父が気付いたときにはもう、斎藤は左利きの剣を使う癖がついてしまっていた。



どんな流派の剣術でも居合でも、武士は右手で剣を扱うのが作法とされる。


斎藤の左利きの剣はあまりにも不調法で不格好、非礼の極みだとして、父は知人の伝手を頼り、息子を天然理心流の道場、試衛館に通わせた。


この道場で師範を務めていたのが、当時二十歳前後の近藤勇である。