赤々と燃える明かりの安い油の匂いがする祇園乙部の路地裏で、不意に斎藤は、背後に近付く気配を察して、はっと振り返った。
商家の旦那のように髷【まげ】を結った小柄な男が、大きな目をぎょろりと光らせ、斎藤に笑み掛けた。
「よう、久方ぶりじゃねえか。吉田の方には足を向けずに花街なんぞほっつき歩くとは、おまえさんも随分ぐれちまったな」
京都の商人風に変装しているくせに江戸っ子言葉を隠しもしないのは、幕府の重鎮、軍艦奉行の勝海舟である。
勝は、前年に当たる慶応二年(一八六六年)の秋、長州征伐に関わる交渉において同じ幕府側の勢力から足を引っ張られ、失敗や頓挫を重ねたことで、憤慨して江戸の自邸に引っ込んだ。
京都にも大坂にも神戸にも、それ以来、現れていなかったはずだ。



