尊攘派の志士の会合に新撰組が介入すれば、斬り合いになるのは避けられなかった。
それは斎藤も身を以て知っている。
敵を斬らねば自分が斬られる場面に、京都に来てから幾度も遭遇した。
池田屋の騒動も同じだ。
しかし、志士らが、京都という町への不逞【ふてい】、天皇への不忠義とも呼び得る計略を本当に練っていたのかどうか、
当事者たちが死して黙している以上、本当のところはもはやわからない。
仮に、五月の時点で得た自白内容が真実でなかったとすれば、
新撰組が昨夜、長州藩士の集会を潰すためとして鴨川端の旅館や料亭に御用改めに回る根拠は、最初からなかったことになる。
そして、池田屋における征伐により京都大火と天皇誘拐を回避した、という新撰組の手柄も、虚構のものということになる。



