ここに来て近藤が伊東を選び、山南を遠ざけたという見方は、あながち誤りでもない。 隊士の数が増えて手狭になった屯所をどこへ移転すべきかと、その問題を巡って、近藤と山南との間で意見の相違があった。 気まずい様子が伺【うかが】えたのは事実だ。 斎藤の目に、山南は淡々としているように映った。 引き際を、あるいは散り際を、探っているようにも見えた。 山南と伊東の学問的な交流は続いていたが、近藤を筆頭とする新撰組幹部の中にあっては、だんだんと山南の存在する価値と意義が薄れていった。