山南は試衛館の仲間内では最も博識で、近藤のそばにあって参謀役を務めていた。
肩書は総長であり、副長の土方に次ぐ序列である。
とはいえ土方は、剣の腕が立ち、年長でもある山南を尊重していたから、実質は山南こそが新撰組の第二位だった。
ところが、文久三年(一八六三年)七月、大坂で遭遇した不逞浪士【ふていろうし】の強盗事件で、
山南は重傷を負い、一命を取り止めたものの後遺症が残り、前線には出られなくなった。
以降は後方支援や学術指南などに徹していた山南だが、
新参の伊東が正式に参謀の肩書を得て頭脳労働を一手に引き受けるようになると、完全に立場がなくなってしまった。
物静かな山南よりも弁の立つ伊東の方が華があり、強烈に人を惹き付ける力があることも否めない。



